日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第157回 城下町名の東と西

2019年08月02日

小学生の頃でしたか、「紺屋の白袴」を「こんやのしろばかま」と読んで、周囲に笑われた記憶があります。そのときに、「紺屋」を「こうや」と読むことを覚えました。

もっとも、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」では、「紺屋」の本項目は「こんや」で、「こうや」の項では「こんや」が変化(ウ音便)したものとして扱っています。

今になって考えてみると「こんやのしろばかま」はけっして間違いではなかったのですが(むしろ正しかった)、「故事ことわざ」の言い回しでは「こうやのしろばかま」が優勢のようです。

ジャパンナレッジ「世界大百科事典」の「紺屋」の読みは「こうや」で、次のように記します。

〈こんや〉ともいう。現在では染物一般を行う染物屋をさすが,本来は紺搔(こんかき)屋の略された語といわれ,紺染(藍染)を専業とする者の称であった。紺搔の名は,藍瓶に溶かした藍が底に沈殿しないように搔きまわして染めたことに由来する。職人としての紺搔の誕生は中世初期にさかのぼるが,近世になって紅師,紫師,あるいは茶染師といった職人もあらわれた。こうした紺搔以外の染物職人は中世末期には染殿(そめどの)と呼ばれていたが,やがて染物業者のすべてを紺屋とも呼ぶようになった。(中略)都市では業者が集住して紺屋町を形成したところが多く,村落にも紺屋の定住が多く見られた。(後略)

江戸時代には、染物業者全般を「紺屋」とよぶようになり、城下のうちで、染物職人が集住して形成された町は「紺屋町」とよばれるようになりました。

ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」で「紺屋町」と入力し、見出し検索をかけると98件がヒットします。読みは「こんや」が75件でもっとも多く、次いで「こうや」が19件、「こや」が4件となっています。

「こんや」「こうや」「こや」の分布を地域別にみると、「こんや」は、

北海道・東北=4件
関東=25件
中部=13件
近畿=24件
中国=2件
四国=3件
九州・沖縄=4件

となっていて、近畿以東に多い傾向がみられます。「こうや」は、

北海道・東北=0件
関東=1件
中部=3件
近畿=0件
中国=3件
四国=1件
九州・沖縄=11件

で、中国以西に多いことがわかります。「こや」の4件はすべて近畿地方でした。

「こんや」分布の北端に位置する、旧弘前城下(現青森県弘前市)の紺屋町

「こうや」分布の南端に位置する、旧人吉城下(現熊本県人吉市)の紺屋町

この結果をみますと、江戸時代の町名「紺屋町」でみる限り、「こんや」の読みが優勢であり、「こうや」が優位なのは中国・九州地域に限られていたことがみてとれます。

ほかに「紺屋」ですぐに思いつくのは、講談・落語でお馴染みの「紺屋高尾」。ジャパンナレッジの基本検索(見出し)で「紺屋高尾」と入力するとヒット件数は8件、重複を除くと6件で、スニペット等で読みを確認すると、「こうや」4件、「こんや」2件。ただし、「文芸倶楽部」第12巻14号(明治39年10月15日、博文館発行)は蝶花楼馬楽の落語「紺屋高尾」を採録していて、「こんやたかお」と振り仮名があります。

Webサイトなどをながめると、「紺屋高尾」の読みは「こうやたかお」がほとんどなのですが、かつては「こんや」の読みも通用していたと思われます。「故事ことわざ」で「こうやのしろばかま」が優位となったのも、以外と新しいことかもしれません。

既述のように、江戸時代の「紺屋町」の読みの分布は、中国地方以西と近畿地方以東ではっきりと区分されていました。ところで、ほかに江戸時代の町名で、こういった地域偏差がみられるものはあるのでしょうか?

城下などで魚市場や魚店が多く集まっていたところは、魚町(基本的に読みは「うおまち」)、魚屋町(同じく「うおやまち・うおやちょう」)、あるいは肴町(同じく「さかなまち」)という町名でよばれていました。読みの違いではないのですが、じつは、この魚町・魚屋町グループと肴町で大きな地域偏差がみられるのです。

ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」で「魚町」と「魚屋町」を入力し、「または(OR)」でつないで見出し検索をかけますと、93件がヒットします。地域別にみると、

北海道・東北=0件
関東=1件
中部=13件
近畿=41件
中国=16件
四国=6件
九州・沖縄=16件

となります。一方、「肴町」のヒット件数は30件。地域別にみると、

北海道・東北=13件
関東=7件
中部=10件
近畿=0件
中国=0件
四国=0件
九州・沖縄=0件

となりました。近畿以西は0ヒットです。混在する中部地域も北陸、甲信越、東海で区分すると、肴町が優勢なのは、甲信越、魚町・魚屋町が優勢なのは北陸、入り混じりが東海となっています。混在の東海地域を境に、甲信越、関東、東北・北海道は「肴町」文化圏、北陸、近畿、中国、四国、九州・沖縄は魚町・魚屋町文化圏といえるでしょう。

今も町名が残る旧本荘城下(現秋田県由利本荘市)の肴町

魚屋が多く集まっていた旧出石城下(現兵庫県豊岡市)の魚屋町

いかがでしたか。境界線はいろいろですが、東西きれいに分かれた分布を示す城下の町名を検討してきました。皆さんもジャパンナレッジの「日本歴史地名大系」や「新版角川日本地名大辞典」の検索機能を駆使して、何か面白い発見にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

(この稿終わり)