第479回
かつて「絆」はいい意味の語ではなかった
2022年04月18日
「絆(きずな)」については、このコラムの第364回で一度書いたことがある。そこでは、「絆」と結合して使われることが多い動詞は、「深まる」「深める」か、あるいは「強まる」「強める」かということについて考察した。詳しくはそのコラムをお読みいただきたい。
その中で、「絆」は、今でこそ人と人との断つことのできない結びつきの意味で使われているが、もともとは馬、犬、鷹(たか)などの動物をつなぎとめる綱のことだったとも書いた。
たとえば、平安末期の歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、次のような歌がある。
「御厩(みまや)の隅(すみ)なる飼ひ猿は絆離れてさぞ遊ぶ」(353)
お馬小屋の隅にいる飼い猿は、綱を離れて(うれしそうに)遊んでいる、という意味で、これが「きずな」のもともとの意味である。この歌からも、「きずな」は古くはあまりいい意味の語ではなかったことがわかる。
そして、つなぎとめるものということから、人と人とを離れがたくしているもの、断つことのできない結びつきという意味で用いられるようになる。ただしそれは、出家や往生をさまたげるものとして捉えられていたようだ。
たとえば『平家物語』では、以下のように使われている。この例は『日本国語大辞典(日国)』で引用されているが少し補った。
「妻子といふもの無始曠劫(むしこうごう)より以来(このかた)、生死(しようじ)に流転(るてん)するきづななるがゆゑに、仏は重ういましめ給ふなり」(10・維盛入水)
妻子というものは、遠い昔から生と死との世界に流転させる分かちがたい結びつきだから、仏は強く妻子への愛情を戒めていらっしゃるのだ、という意味である。『日国』ではこの『平家物語』の例はもっとも古い例として引用されているが、『平家物語』で初めて「絆」がこの意味で使われたわけではないだろう。この例から何がわかるのかというと、「絆」が表す断つことのできない結びつきとは、仏教的な考えが影響して、古くは出家や往生をさまたげるもの妻や子だったということである。以後の例も、『日国』で引用されているのは、ほとんどが断ち切れないもの、断ち切らなければならないものという意味で使われている。
これがのちに、現在のような広く人と人との結びつきという意味で使われるようになる。ただ、その意味が生じたのはいつ頃なのか、実はよくわからない。推測の域を出ないのだが、明治以降なのかもしれない。その頃になると、今と同じような意味で使われている例が散見されるからである。
「きずな」の例は『平家物語』のものがもっとも古い例だと書いたが、「きずな」とほとんど同じ意味で使われ、それよりも古い例のある語が存在する。「ほだし」である。しかもこの語は、「絆」と書かれることもあった。「ほだし」は動詞「ほだす(絆)」の連用形が名詞化した語で、馬などをつないで放れないようにするという意味だが、語源はよくわからない。現在ではほとんど使われることのない語だが、受身の助動詞「れる」の付いた「ほだされる」だけは、今でも使われている。「情にほだされる」などというときの「ほだされる」がそれである。相手の情にひきつけられて、心や行動の自由がしばられるという意味である。
「きずな」と「ほだし」は同じような意味で使われてきた語だが、「ほだし」は忘れ去られてしまったのに、「きずな」の方にだけ人と人との結びつきというプラスの意味が生じ、使われ続けきたわけで、それはそれでとても興味深い。
その中で、「絆」は、今でこそ人と人との断つことのできない結びつきの意味で使われているが、もともとは馬、犬、鷹(たか)などの動物をつなぎとめる綱のことだったとも書いた。
たとえば、平安末期の歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、次のような歌がある。
「御厩(みまや)の隅(すみ)なる飼ひ猿は絆離れてさぞ遊ぶ」(353)
お馬小屋の隅にいる飼い猿は、綱を離れて(うれしそうに)遊んでいる、という意味で、これが「きずな」のもともとの意味である。この歌からも、「きずな」は古くはあまりいい意味の語ではなかったことがわかる。
そして、つなぎとめるものということから、人と人とを離れがたくしているもの、断つことのできない結びつきという意味で用いられるようになる。ただしそれは、出家や往生をさまたげるものとして捉えられていたようだ。
たとえば『平家物語』では、以下のように使われている。この例は『日本国語大辞典(日国)』で引用されているが少し補った。
「妻子といふもの無始曠劫(むしこうごう)より以来(このかた)、生死(しようじ)に流転(るてん)するきづななるがゆゑに、仏は重ういましめ給ふなり」(10・維盛入水)
妻子というものは、遠い昔から生と死との世界に流転させる分かちがたい結びつきだから、仏は強く妻子への愛情を戒めていらっしゃるのだ、という意味である。『日国』ではこの『平家物語』の例はもっとも古い例として引用されているが、『平家物語』で初めて「絆」がこの意味で使われたわけではないだろう。この例から何がわかるのかというと、「絆」が表す断つことのできない結びつきとは、仏教的な考えが影響して、古くは出家や往生をさまたげるもの妻や子だったということである。以後の例も、『日国』で引用されているのは、ほとんどが断ち切れないもの、断ち切らなければならないものという意味で使われている。
これがのちに、現在のような広く人と人との結びつきという意味で使われるようになる。ただ、その意味が生じたのはいつ頃なのか、実はよくわからない。推測の域を出ないのだが、明治以降なのかもしれない。その頃になると、今と同じような意味で使われている例が散見されるからである。
「きずな」の例は『平家物語』のものがもっとも古い例だと書いたが、「きずな」とほとんど同じ意味で使われ、それよりも古い例のある語が存在する。「ほだし」である。しかもこの語は、「絆」と書かれることもあった。「ほだし」は動詞「ほだす(絆)」の連用形が名詞化した語で、馬などをつないで放れないようにするという意味だが、語源はよくわからない。現在ではほとんど使われることのない語だが、受身の助動詞「れる」の付いた「ほだされる」だけは、今でも使われている。「情にほだされる」などというときの「ほだされる」がそれである。相手の情にひきつけられて、心や行動の自由がしばられるという意味である。
「きずな」と「ほだし」は同じような意味で使われてきた語だが、「ほだし」は忘れ去られてしまったのに、「きずな」の方にだけ人と人との結びつきというプラスの意味が生じ、使われ続けきたわけで、それはそれでとても興味深い。
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