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秋分の日(日本大百科全書・日本国語大辞典)
「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」趣旨の国民の祝日。毎年9月23、24日ごろ。太陽が黄経180度の秋分点を通過する日で、真東から出、真西に沈む。昼夜の時間がほぼ等しく、二十四節気の一つ。秋の彼岸の中日にもあたる。

文化の日(日本大百科全書・日本国語大辞典)
11月3日。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことが趣旨の国民の祝日。1948年(昭和23)制定。46年のこの日公布された新憲法の精神に基づき、平和と文化が強調されているが、この日を祝日としたのは、47年まで四大節の一つの明治節(明治天皇の誕生日)だったためもある。

勤労感謝の日(日本大百科全書・日本国語大辞典)
11月23日。「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」国民の祝日。1948年(昭和23)制定された。その前は国の祭日で、天皇が新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、自らも食する新嘗祭(にいなめさい)という祭事の日であった

建国記念の日(日本大百科全書(ニッポニカ))
2月11日。「建国をしのび、国を愛する心を養う」趣旨の国民の祝日。この日は旧紀元節で、講和条約発効後根強い復活の動きがあり、激論のなか日取り未定のまま、1966年(昭和41)国民の祝日に追加された。

昭和の日(日本大百科全書(ニッポニカ))
国民の祝日で、4月29日。「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを趣旨に制定された。もとは昭和天皇誕生日で、昭和天皇崩御後は、植物に造詣(ぞうけい)の深かった天皇にちなみ

能楽(国史大辞典)
南北朝時代に始まった日本の代表的な古典芸能。歌と舞を主要素とする歌舞劇で、猿楽の能をさす。創成期の猿楽などが演じた歌と舞による劇形式の芸を「能」といい、「猿楽の能」のほか「田楽の能」や類似の芸「延年の能」も存在したが、室町時代以後は猿楽の能が主流となったので単に「猿楽」

人形浄瑠璃(世界大百科事典・歌舞伎事典)
劇と語り物の接点に立つ舞台芸術。その最も円熟した形態が,現在文楽と呼ばれる,義太夫節浄瑠璃に合わせて,三人遣いの人形が操られるものである。なお,音楽史の側面は〈義太夫節〉の項目を,また歌舞伎への影響については〈歌舞伎〉の項目のうち[人形浄瑠璃との交流]を

狂言(改訂新版・世界大百科事典)
南北朝時代に発生した中世的庶民喜劇で,能,歌舞伎,文楽(人形浄瑠璃)などとともに日本の代表的な古典芸能の一つ。特に能とは深い関係をもつところから〈能狂言〉とも呼ばれる。能が主に古典的題材をとり上げ幽玄美を第一とする歌舞劇であるのに対し,狂言は日常的なできごとを笑いを通して

雅楽(世界大百科事典・国史大辞典)
古代以来もっとも長い歴史をもつ東アジアの音楽。中国で成立し,朝鮮,日本,ベトナムなどの王朝国家に伝えられ,主として国家的制度のもとで管理,伝承されてきた。中国の雅楽は,〈雅正の楽〉の意で俗楽に対立し,儒教の礼楽思想に基づいて成立,発展したために狭義には天地宗廟の祭祀楽

なにわ‐ぶし[なには]【浪花節・難波節】(日本国語大辞典)
江戸末期、大坂に起こった、三味線を伴奏とする大衆的な語り物。明治以降盛んになった。説経祭文から転化したもので、ちょんがれ節、うかれ節などとも呼ばれていた。語られる内容は多くは軍談・講釈・伝記など。最近では文芸作品も語られるが、義理人情を主とする。浪曲。

じょう‐るり[ジャウ‥]【浄瑠璃】(日本国語大辞典)
(1)仏語。清浄、透明な瑠璃。また 清浄なもののたとえ。(2)平曲・謡曲などを源流とする音曲語り物の一つ。室町時代の末に、広く民衆に迎えられた琵琶や扇拍子を用いた新音曲の中、牛若丸と浄瑠璃姫との恋物語を内容とする「浄瑠璃物語(十二段草子)」が流行したところから

語物(日本国語大辞典)
筋のある物語を節をつけて語る芸能。平曲、幸若、説経節、祭文(さいもん)、浄瑠璃、薩摩琵琶、筑前琵琶、浪花節など。その詞章をもいう。謡物(うたいもの)。

歌経標式(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良時代の歌学書。藤原浜成(はまなり)著。序、跋(ばつ)によれば、772年(宝亀3)5月勅命により成立。偽作説もあったが、真作と認めうる。最古の歌学書で、とくに歌病(かへい)論は平安時代以降、変化しつつも大きな影響を残した。序によれば書名は『歌式(かしき)』。

凌雲集(世界大百科事典・国史大辞典・全文全訳古語辞典)
平安初期の勅撰第1漢詩集。1巻。《凌雲新集》とも。782年(延暦1)以来の漢詩を集め,814年(弘仁5)成立。書名は〈雲を凌(しの)ぐ〉ほど優れた詩集の意。小野岑守(みねもり)が嵯峨天皇の勅命を奉じ菅原清公(きよきみ)らと慎重に協議して編集したことが

性霊集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
平安初期の漢詩文集。正しくは『遍照発揮性霊集』。10巻。空海作。弟子の真済が編纂したもので、当初10巻であったが、巻8以下の3巻が散逸し、1079年(承暦3)に済暹が逸文を拾集して『続性霊集補闕鈔』3巻を編み、ふたたび10巻に編纂した

菅家文草(世界大百科事典・国史大辞典)
菅原道真の漢詩文集。12巻。900年(昌泰3)成立。前半6巻は詩468首を年次順に,後半6巻は散文161編をジャンル別に集める。道真は政府高官であった得意時代,〈月夜に桜花を翫(もてあそ)ぶ〉(385),〈殿前の薔薇を感(ほ)む〉(418)など艶冶巧

倭名類聚抄(和名類聚抄)(世界大百科事典・国史大辞典)
〈わみょうるいじゅしょう〉とも読み,《和名抄》と略称する。また〈和〉は〈倭〉とも記す。醍醐天皇の皇女勤子内親王の命により,源順(みなもとのしたごう)が撰上した意義分類体の漢和辞書。承平年間(931-938)の編集か。10巻本と20巻本とがあるが,どち

本朝文粋(国史大辞典・世界大百科事典)
平安時代の漢詩文。藤原明衡編。十四巻。康平年間(一〇五八―六五)に成るか。弘仁期から長元期に至るまでの二百年間の詩文四百二十七篇を収める。書名は宋の姚鉉の『唐文粋』に倣い、わが国の文章の精粋を集めたことによる。平安時代中期から邦人の秀句の朗詠が行われ『和漢朗詠集』が

和漢朗詠集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安時代、貴族の間に口ずさまれた漢詩文の佳句、および和歌の詞華選集(アンソロジー)。藤原公任の撰として疑われない。二巻。成立年は不明であるが、藤原道長三女でのちに後一条天皇皇后となった女御威子の入内屏風に、倭絵(やまとえ)・唐絵(からえ)とともに配されていたものと

古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
竹本義太夫と近松門左衛門の提携による新しい浄瑠璃に対して、それ以前の浄瑠璃をいう。従来、貞享二年(一六八五)竹本座二の替り興行の『出世景清』(近松作)を新浄瑠璃のはじめとする説(『外題年鑑』など)が多く行われた。浄瑠璃史の上ではそのころから完成期に入り

燕楽(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
中国で酒宴の席で奏せられた音楽。儀式の際に奏せられる雅楽に対して、俗楽と称せられ、雅楽が古法を守るのに対して、新しい流行や西域からはいった胡楽(こがく)も取り入れて行なった。*周礼‐春官・鐘師「凡祭祀饗食、奏

林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
インド系の舞楽。天平八年(七三六)、波羅門僧菩提僊那、林邑僧仏哲によって伝えられたという。ただし仏哲については実在を否定する説がある。初見は『続日本紀』天平宝字七年(七六三)正月条で、唐楽・吐(度)羅楽・隼人舞の歌舞などとともになされたとみえるが

竹本義太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
義太夫節の開祖で、竹本座の創設者。大坂・天王寺村の農家に生まれ、幼名を五郎兵衛という。早くから井上播磨掾の浄瑠璃にあこがれ、播磨の門弟清水理兵衛が『上東門院』を興行した際、そのワキを勤めた。1677年(延宝5)京都四条河原の宇治座『西行物語』に出演して嘉太夫

太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫

吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮で国字ハングルの創案(1443)以前に発達した漢字による朝鮮語の表記法のこと。吏道,吏吐,吏書などとも書く。広義には,漢字の音や訓を利用して行った朝鮮語表記の総称としても用いられ,三国時代の固有名詞や官職名の表記を含めていうこともあるが,狭義では,郷札,口訣

歌舞伎(世界大百科事典)
歌舞伎は,舞楽,能,狂言,人形浄瑠璃などとともに日本の代表的な古典演劇であり,人形浄瑠璃と同じく江戸時代に庶民の芸能として誕生し,育てられて,現代もなお興行素材としての価値を持っている。明治以後,江戸時代に作られた作品は古典となり,演技・演出が

鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺蔵。国宝。紙本墨画。四巻。甲巻縦三〇・七センチ、全長一一五〇・八センチ。乙巻縦三〇・八センチ、全長一二二一・七センチ。丙巻縦三一・三センチ、全長一一一四・六センチ。丁巻縦三〇・九センチ、全長九四三・〇センチ

下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い

江戸三座(新版 歌舞伎事典)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが

野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者