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「日本の史跡・遺跡・遺物・史料」カテゴリの記事一覧

オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」の「日本の史跡・遺跡・遺物・史料」のカテゴリ別サンプルページです。
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大坂の陣(国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
関ヶ原の戦の戦勝により、政治の主導権を獲得し、かつ戦勝者として大名の支配を可能にした徳川氏にとっては、中央政権を樹立し、その支配権を正当化し確立することが今後の課題となった。そのため戦後一門・譜代大名の創出とその要衝配置、ならびに豊臣秀吉恩顧の大名をはじめとする外様大名
小豆坂古戦場(日本歴史地名大系)
[現]岡崎市羽根町 小豆坂 羽根地籍東方の丘陵地。松の木立に覆われた起伏の多い一帯が今川義元と織田信秀の軍が激しく戦った小豆坂古戦場である。「信長記」などによると、天文一一年(一五四二)八月、今川義元は駿遠三の兵を率いて、当時織田信秀の支配下にあった安祥城(現安城市)を攻撃し
国府・府中・城府・駿府(日本歴史地名大系)
古代に駿河国の国衙が置かれた地。静岡平野の中央、安倍川下流の左岸に位置する。現在の静岡市中心部とされる。古代の駿河国府の比定地については、現在の駿府城跡北方の長谷通の南側あるいは北側、駿府城跡の南東地区(城内中学校・青葉小学校などを含む一帯)、駿府城跡北東の横内・上足洗方面
鹿鳴館(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
明治初期の国際的社交場として建てられた洋館。東京府麹町(こうじまち)区内幸(うちさいわい)町山下門の元薩摩(さつま)藩装束(しょうぞく)屋敷跡(千代田区内幸(うちさいわい)町、帝国ホテルの隣地)にあった。1879年(明治12)外務卿(きょう)に就任して
富岡製糸場(国史大辞典・世界大百科事典)
明治初年に上野国富岡に設立された官営模範製糸場で、のち民間へ払い下げられた。政府は横浜の有力生糸輸出商社エッシュ=リリアンタル商会からの器械製糸場設立の申請を退けつつ、明治三年(一八七〇)二月にみずから模範製糸場を設立する方針を定め
京都御所(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]上京区京都御苑広義には大宮御所(なかに仙洞御所がある)をも含み、狭義には京都御所のみをいう。里内裏であった土御門東洞院(つちみかどひがしのとういん)邸が、鎌倉最末期以来皇居とされていたものの後身で、仙洞御所と大宮御所は江戸初期に設けられた
札幌農学校(日本歴史地名大系)
明治九年(一八七六)に札幌学校が改称して成立した札幌農学校は日本初の高等農業専門学校。現北海道大学の前身にあたり、明治五年に東京芝増上寺本坊内に開設された開拓使仮学校を嚆矢とする。明治五年一月開拓次官の黒田清隆は、北海道に農業・工業などの学校を
釜石製鉄所(日本歴史地名大系)
[現]釜石市鈴子町西に食込む釜石湾奥の西岸に位置する。明治七年(一八七四)二月、工部省工部卿伊藤博文の「陸中国閉伊郡に熔鉱炉を設置」の発議に基づき、同年五月工部省鉱山寮釜石支庁が置かれ、橋野・大橋・栗林、佐比内(現遠野市)の鉱山が官営に移管、翌八年一月工場建設に着手した
日立鉱山(国史大辞典・世界大百科事典)
茨城県日立市にあった近代有数の銅山。天正年間(一五七三―九二)の発見と伝えられるが、文久・元治の交、常陸の人大塚源吾衛門が水戸藩の許可を得て三年間稼行し休業したのち、明治六年(一八七三)以降、数人の鉱業人を経て同三十四年末に赤沢鉱業合資会社の経営に
弥生土器(世界大百科事典)
弥生文化に用いられた軟質,赤焼きの土器。縄文土器に後続し,古墳時代の土師器(はじき)に先行する。1884年に東京本郷の弥生町向ヶ丘貝塚(弥生町遺跡)で採集された土器がもとになって,90年代から〈弥生式土器〉の名称が生まれた。最近では,細別するときに
倭奴国王印(国史大辞典・世界大百科事典)
江戸時代の天明四年(一七八四)、筑前国那珂郡志賀島(しかのしま)南岸の叶の崎(かなのさき、福岡市東区)から出土した「漢委奴国王」の印文をもった純金の印。その形は方形で、方平均二・三四七センチ、高〇・八八七センチの小さい印台の上に、蛇形ともみえる鈕が
佐渡金山(世界大百科事典)
新潟県佐渡郡(佐渡国)相川町(現,佐渡市)を中心とした金銀山。天文年間(1532-55)鶴子(つるし)(現同市,旧佐和田町)で発見された銀山は,文禄(1592-96)から慶長(1596-1615)にかけて坑道掘りの技術の導入にともない,その中心が
大森貝塚(日本大百科全書・世界大百科事典・日本歴史地名大系)
アメリカの動物学者エドワード・S・モースが1877年(明治10)6月、横浜から東京・新橋(しんばし)へ向かう汽車の車窓から発見した貝塚。東京都品川区大井6丁目、東海道本線の線路ぎわに「大森貝塚」の碑がある。また大田区山王1丁目地内に「大森貝墟(きょ)
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