国史大辞典のサンプルページ一覧

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花火(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
火を扱う技術を一般に火術というが、そのなかでも芸術的な分野をなすものを花火という。すなわち花火は、火薬などが爆発しまたは燃えるときの光、火花、火の粉、音、煙などを巧みに組み合わせて、主として観賞の用に供するもので、その現象そのものをさすこともあれば、
上野戦争(国史大辞典)
明治元年(一八六八)五月、江戸上野で彰義隊と政府軍との間におこった戦争。彰義隊は前将軍徳川慶喜に一橋家時代からつかえた渋沢喜作・天野八郎ら旧幕臣が中心となって結成したもので、当初は浅草本願寺を屯所としたが、のち上野寛永寺大慈院に謹慎中の慶喜の護衛を
彰義隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争の佐幕派の軍事集団。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた将軍徳川慶喜(よしのぶ)が江戸に帰り上野に謹慎した1868年(慶応4)2月12日、旧一橋(ひとつばし)家家臣17名が江戸雑司谷(ぞうしがや)に会合して慶喜の復権と薩摩
白虎隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保(かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜(よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を
傾城買四十八手(国史大辞典・世界大百科事典)
江戸時代後期の洒落本。山東京伝作。寛政二年(一七九〇)刊。一冊。さまざまのタイプの遊客遊女との会話を四つの場面に描き分け、遊興・恋愛における男女の手くだ・技巧・感情を細かく鋭い観察と巧妙な写実手法によって、辛辣にまたユーモラスに描き、のちの諸作品への
通言総籬(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
山東京伝作の洒落本(しゃれぼん)。一冊。天明七年(一七八七)刊。京伝の当り作の黄表紙(きびょうし)『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(天明五年)中の人物、艶二郎・喜之介・志庵をそのまま流用し、其一に喜之介宅、其二に吉原遊里と、二つの場面
遊子方言(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
洒落本。一冊。田舎老人多田爺(ただのじじい)作。明和七年(一七七〇)刊と推定される。通人ぶった中年の男が若い息子ふうの男を連れて、柳橋から吉原仲の町の茶屋を経て遊女屋に遊び、盛んに高慢をいい知ったかぶりを見せるが、結局は遊女に冷遇され、おとなしい息子
書状(国史大辞典)
書状とは手紙のことであって、用件・意志・感情などを書き記して相手方に伝える私的な文書のことである。書簡・書翰・書札・尺牘(せきとく)・消息(しょうそく・しょうそこ)・消息文などと呼ばれる。これらのうち漢文体のものを尺牘といい、仮名書きのものを消息とい
鳥羽・伏見の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争最初の内乱。王政復古後、新政府内部において、討幕派は公議政体派を抑え、前将軍徳川慶喜(よしのぶ)に辞官納地を命じた。慶喜は大坂に退いて主導権回復を策したが、討幕派の関東での挑発、攪乱(かくらん)工作にのり、江戸薩摩(さつま)藩邸を焼
江戸開城(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1868年(慶応4)4月に行われた新政府軍への江戸城明渡し。同年正月3日の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いにおいて幕府軍は敗北し、大坂にいた徳川慶喜(よしのぶ)は海路江戸に帰った。2月、維新政府は東征軍を結成して東海、東山、北陸の三道から進軍を開始
戊辰戦争(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
明治元年(一八六八)正月三日に始まる鳥羽・伏見戦争(鳥羽・伏見の戦)から上野戦争、そして北越(北陸)戦争・東北戦争、さらに翌二年五月に終る箱館戦争までの戦争の総称。明治元年が干支で戊辰の年にあたるので、この呼称がつけられている。〔鳥羽・伏見戦争・上野
太閤記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
豊臣秀吉の事蹟を書きとめた記録。小瀬甫庵著、寛永二年(一六二五)自序、二十二巻。別称『豊臣記』。巻一―十六は秀吉出生から晩年まで。秀吉の素生として父を筑阿弥、幼名を日吉丸とし、晩年は最も華やかであった慶長三年(一五九八)の醍醐の花見で終っている。巻十
鼠小僧次郎吉(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊とし
憲政擁護運動(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
1912~13年(大正1~2)と、24年(大正13)の二度にわたって展開された藩閥専制政府打倒を目ざす政党、民衆の運動。護憲運動と略称する。[阿部恒久]▲第一次護憲運動行財政整理により財源を確保し、日露戦後経営の完遂を期す第二次西園寺公望(さいおんじ
大正時代(世界大百科事典・国史大辞典)
一般的には大正天皇の在位期間(1912-26)をいうが,歴史学的にいえば,藩閥官僚政治を批判する日露戦争講和反対の全国的民衆運動の発生した1905年から,第2次護憲運動の結果成立した加藤高明内閣の政治諸改革が行われ,政党政治体制の確立した1925年ま
大正デモクラシー(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日露戦争後から大正末年にかけ、政治の世界を中心に、社会・文化の分野にまで顕著に現われた民主主義的、自由主義的傾向。〔研究状況〕信夫(しのぶ)清三郎『大正デモクラシー史』(昭和二十九年(一九五四)―三十四年)以来、「大正デモクラシー」の用語がひろく使わ
渋沢喜作(国史大辞典・日本人名大辞典)
一八三八-一九一二明治時代の実業家。渋沢栄一の従兄で、栄一より二歳年長。天保九年(一八三八)六月十日、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)に渋沢文平の子として生まれる。文久三年(一八六三)栄一らとともに攘夷を決行しようとしたが中止した。翌元治元年
五代友厚(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
実業家、政商。薩摩(さつま)藩士で儒者兼町奉行(まちぶぎょう)の五代直左衛門秀堯(ひでたか)の次男として生まれる。幼名を徳助、才助といい、松蔭と号す。長崎で航海、砲術、測量などの技術を習得、薩英戦争(1863)に参加し捕虜となるが脱出した
大祓(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
百官以下万民の罪穢を祓い除き、清浄にするための神道儀礼。毎年六月・十二月晦日に行うほか、大嘗祭、斎宮・斎院の卜定・群行、また疫病流行、妖星出現、災害異変などのときに行なった。その起源は、伊弉諾尊が黄泉国よりかえり、筑紫の日向の小戸橘之檍原
愛護若(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
説経節『愛護若』の主人公。愛護は父二条蔵人清平の後妻、雲井の前の邪恋を拒んだため、二条の館を追放される。叔父の阿闍梨(あじゃり)のいる叡山を訪ねるが、そこでも天狗と誤られて乱暴され、失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝(きりうがたき)で投身自殺し
尊王攘夷運動(世界大百科事典・国史大辞典)
天皇を尊び外夷をしりぞけることをスローガンに掲げ,幕府政治を批判の対象とした,江戸末期の政治運動。下級武士や少壮公卿らが主たる担い手であった。

運動の発端

尊王も攘夷も,幕藩体制に本来そなわった考え方であるが,幕末に外国船の来航が多くな
川路聖謨(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸末期の政治家。幕府の徒士 (かち)内藤吉兵衛 (きちべえ)の子として豊後 (ぶんご)国(大分県)日田に生まれ、小普請 (こぶしん)組川路三左衛門光房 (さんざえもんみつふさ)の養子となる。通称弥吉 (やきち)、のち三左衛門。18歳のと
大政奉還(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
「大政」とは天下の政 (まつりごと)の意で、第15代将軍徳川慶喜 (よしのぶ)が1867年(慶応3)10月14日、徳川氏265年間の政権を朝廷に奉還し、翌15日、朝廷がそれを勅許した幕末期の一大政治事件をいう。薩長 (さっちょう)を中心とした倒
祇園(国史大辞典・世界大百科事典)
京都市東山区円山公園西方一帯の呼称。その中心に祇園社(八坂神社)があり、社の西大門に達する四条通りの南北にわたる花街を祇園町という。これらの地はもと山城国愛宕郡八坂郷に属し、早く平安奠都以前から開けていたところであるが、貞観年間(八五九―七七)藤原基
蝉丸(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂
酒呑童子(日本架空伝承人名事典・国史大辞典)
大江山伝説に登場する鬼神。「酒顛童子」とも書く。源頼光と渡辺綱、坂田金時らその四天王が、大江山に住む酒呑童子という鬼を退治する話は、近江伊吹山の伊吹童子退治の話と内容的に深く関係するが、一四世紀後半成立の『大江山絵詞』にみえることから、これ以前に原型
桜田門外の変(国史大辞典・世界大百科事典)
万延元年(一八六〇)三月三日水戸・薩摩の十八士が江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺した事件。直弼は安政五年(一八五八)六月勅許を得ずに日米修好通商条約の調印を断行し、違勅問責のために押懸登城した水戸老侯徳川斉昭らの三家の諸侯を処罰したばかりでなく
安政の大獄(国史大辞典・世界大百科事典)
安政五戊午年(一八五八)から翌年にかけて、大老井伊直弼が将軍継嗣・条約調印の二問題に反対した尊攘派に下した弾圧。戊午の大獄ともいう。十三代将軍徳川家定は凡庸なうえに継嗣がなかったので、早く継嗣を定めて将軍を補佐させ、幕府の基礎を強固にしようとする論が
高島秋帆(世界大百科事典・国史大辞典)
幕末の長崎会所調役頭取で砲術家。名は茂敦,通称は四郎太夫,秋帆は号。長崎防備のため,はじめ荻野流砲術を学び,のち出島のオランダ人から西洋砲術を学んで,これを高島流砲術と名づけた。西洋近代砲術を最初に紹介したものといえる。アヘン戦争が起こった1840年
石川丈山(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸初期の漢詩人。名は凹 (おう)。丈山は字 (あざな)。六六山人、四明山人、凹凸窠 (おうとつか)などと号した。代々徳川氏に仕える三河武士の家に生まれたが、大坂夏の陣のとき軍律を犯してとがめを受けたため武士を捨て、藤原惺窩 (せいか)に入門
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