東京の南西部に110.7キロメートル(2025)の路線を有する民営鉄道。東急グループの一つである。渋谷―横浜間(東横線)、渋谷―中央林間間(田園都市線、2000年8月まで渋谷―二子玉川(ふたこたまがわ)間は新玉川線とよばれていた)、目黒―日吉(ひよし)間(目黒線)、蒲田(かまた)―多摩川(たまがわ)間(東急多摩川線)、大井町―溝の口間(大井町線)、五反田―蒲田間(池上(いけがみ)線)、新横浜―日吉間(東急新横浜線)のほか、世田谷(せたがや)線、こどもの国線などがある。このうち東横線は横浜高速鉄道みなとみらい線および東京地下鉄副都心線と、田園都市線は東京地下鉄半蔵門線と、目黒線は東京地下鉄南北線および都営地下鉄三田線と、また東急新横浜線は相模(さがみ)鉄道相鉄新横浜線と直通運転を行い、半蔵門線は東武鉄道(伊勢崎(いせさき)線、日光線)に、南北線は埼玉高速鉄道に、副都心線は東武鉄道(東上線)および西武鉄道にそれぞれ結ばれている。
会社の発祥は1922年(大正11)創立、翌1923年開業の目黒蒲田電鉄(かつての目蒲線。現、目黒線、東急多摩川線など)で、ついで東京横浜電鉄(現、東横線)が開業。両社の経営にあたっていた五島慶太(ごとうけいた)は、隣接の池上電気鉄道(現、池上線)や玉川電気鉄道(現、田園都市線、世田谷線など)を合併し、さらに、東京近郊の交通調整策に沿って1942年(昭和17)に小田急電鉄、京浜電気鉄道(現、京浜急行電鉄)、1944年京王電気軌道(現、京王電鉄)を合併、東京急行電鉄を組織した。1948年(昭和23)には京王帝都電鉄(現、京王電鉄)、小田急電鉄、京浜急行電鉄の3鉄道を分離独立させた。
もともと目黒蒲田電鉄は、郊外に理想的な住宅地を開こうと設立された田園都市株式会社の子会社として生まれたものであり、田園調布をはじめとする沿線は関東大震災後住宅地としていち早く発展した。1966年以後開通していった田園都市線は多摩田園都市を新たに開き、民間企業によるニュータウン建設の代表的な例となっている。そのほか全国各地や海外にも多角的な事業を展開し、いわゆる東急グループを形成した。2019年(令和1)9月2日に東京急行電鉄から東急へ社名を変更し、鉄道事業は同年10月1日に分社化されて東急電鉄となり、東急の子会社となった。