国家やその他の団体が秘密にしている情報を、ひそかにあるいは買収など不当な方法で探知、収集し、対立関係にあるほかの国家または団体の利用に供する者。スパイは国家間だけではなく、企業間でも産業スパイといった形で活動している。
スパイの語源は、13世紀の古フランス語の「espie」(監視)とされており、その後の中期英語で「espy」という形になった。古代中国ではスパイを「間(かん)」とよんでいたが、これはスパイが二つ折りにされた封書をのぞく行為に由来しており、日本でも「間諜(かんちょう)」ということばが定着することになった。現代ではスパイ活動によって得られた情報を、人的情報(ヒューミントHUMINT。Human Intelligenceの合成語)という。なおヒューミントは、スパイによる情報収集活動をさす場合もある。
スパイの最古の記録については、古代エジプトやメソポタミアのものが残っており、旧約聖書でもモーセがカナーンの地に12人のスパイを派遣して調査を行ったという逸話が残っている。ただし古代社会においては、スパイの情報よりも神託や占いの結果を重視することもあった。時代が下るとスパイの有効性は認められ、外交や戦争の裏にはスパイの暗躍があった。16世紀にイギリスのエリザベス1世を支えた宰相フランシス・ウォルシンガムFrancis Walsingham(1532ころ―1590)や、独立戦争を率いたアメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンらは優れたスパイ・マスター(スパイ活動の統括者)でもあった。この時代のスパイの任務は、おもに相手の軍勢や侵攻ルートなど、戦場で軍事情報を収集し、それを軍事指導者に対して報告することであった。日本陸軍も日露戦争時には情報活動に力を入れ、明石元二郎(あかしもとじろう)や石光真清(いしみつまきよ)(1868―1942)のような今日でもその名が知られる諜報員が活躍し、日本海海戦の直前には、ロシアのバルチック艦隊が対馬(つしま)海峡を通るという貴重な情報が、上海(シャンハイ)でのスパイ活動によって得られた。
第二次世界大戦後には、アメリカの中央情報局(CIA)やイギリスの秘密情報部(SIS。MI6ともいう)、ドイツの連邦情報庁(BND)、ソ連の国家保安委員会(KGB)、イスラエルのモサドといった対外情報機関が設置され、冷戦は東西スパイ合戦の様相を呈した。すでに第二次世界大戦中から、アメリカはソ連側のスパイの浸透を許しており、これらスパイの活動によって、アメリカの最高機密である原子爆弾の製造方法がソ連側に漏れることになる。これに対してアメリカの情報機関は、ソ連の通信を傍受・解読するべノナ計画によって、アメリカ国内に浸透した100名以上のスパイを特定した。その一部が原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)の秘密を盗み出した容疑で告発されたジュリアス・ローゼンバーグJulius Rosemberg(1918―1953)とその妻エセルEthel Rosemberg(1915―1953)であり、二人は司法取引に応じず死刑に処されている。その後もCIAやMI6はソ連のスパイの浸透に悩まされ続けた。ソ連は亡命ロシア人を使い、10年以上かけてアメリカの情報機関に潜り込ませるスパイ(「モグラ」とよばれる)と、金銭やイデオロギーで米英のスパイを寝返らせることによって(寝返ったスパイは「二重スパイ」とよばれる)、西側の情報機関内にスパイ網を張り巡らせた。相手側のスパイを寝返らせたり、協力者を募ったりする方法は「MICE(ネズミ)」とよばれており、これは「金銭Money」「思想信条Ideology」「妥協Compromiseと強要Coercion」「エゴEgo」といった人が組織を裏切る動機の頭文字をとった総称である。金銭と思想はイメージしやすいが、妥協は相手の弱みを握って協力を強要し、相手を屈服させることである。そのためには金銭を受け取らせたり、ハニートラップ(色仕掛け)を使用したりすることもある。
ハニートラップというと女性スパイが男性を誘惑するケースが想起されるが、逆のケースも存在する。とくに旧東ドイツの情報機関シュタージは、西ドイツの政治家の女性秘書や官庁の女性幹部をターゲットにした「ロミオ作戦」を実施し、成果をあげた。特異なケースとしては、1964年から20年近くスパイ活動が続けられた「時佩璞(じはいはく)事件」である。京劇の男性役者であった時佩璞(1938―2009)は中国の情報機関のため、女性に扮(ふん)してフランス人外交官、ベルナール・ブルシコBernard Boursicot(1944― )にハニートラップを仕掛ける。ブルシコは時佩璞が男性とは気づかないまま関係を続け、フランスの外交機密を提供し続けたのである。その後、1983年にパリで両者はフランス当局に逮捕され、ともにスパイ罪で禁錮6年の有罪判決を受けている。その裁判の過程で、ブルシコは初めて自分のパートナーが男性であったことに気づき、衝撃を受けたという。
エゴは秘密をもつ者の、抑圧された心理を利用するものである。戦前、日本で活動していたソ連軍参謀本部情報総局(GRU)のスパイ、リヒャルト・ゾルゲは、ドイツの新聞記者として日本の政治家や軍人に接触していたが、インタビューの最後にかならず「そんなことも知らないのですか」といったという。そういわれると多くの日本人は「そんなことはない」といって、秘密を話してくれたという。
スパイに求められる技法は、今も昔も外国語とコミュニケーションの能力である。秘密裏に外国に潜入して破壊工作を行うのは、映画やフィクションの世界の話である。現実のスパイのほとんどは、身分を偽装し、パーティーや国際会議の場で外国の要人や政府関係者から断片的な情報を得ている。情報を得るためにはできるだけ長く話す必要があるので、外国語によるコミュニケーション能力は必須(ひっす)であり、ジャーナリストのように相手の話をメモすることはできないので、記憶力も必要となる。
スパイ活動については国際法等で明確な取り決めはなく、グレーゾーンの領域とされている。したがって各国は国内法としてスパイ防止法を制定し、スパイを取り締まる。たとえば1917年に制定されたアメリカの防諜法では、国防や情報活動、暗号に関する情報を意図的に入手したり、外国政府への便宜を図った政府職員はスパイとみなし、10年以下の禁錮刑に処す、と規定されている。アメリカには量刑加重制度があるので、スパイ行為1件につき10年の禁錮刑ならば、5件で50年ということもありうる。冷戦期、ソ連に情報を売っていたCIAのオルドリッチ・エイムズAldrich Ames(1941― )や連邦捜査局(FBI)のロバート・ハンセンRobert Hanssen(1944―2023)らは終身刑に処されており、意図的な情報漏洩(ろうえい)や裏切り行為は、欧米諸国では重罪とみなされる。
多くのスパイは、外交官の肩書で海外の大使館に勤務し、そこを拠点として情報収集活動を行う。このような身分偽装をオフィシャル・カバー(OC)という。他方、民間企業の従業員やジャーナリストの肩書で活動するスパイもおり、こちらはノン・オフィシャル・カバー(NOC)という。OCは大使館の決まったポストに配置されるため、赴任した国の監視対象になりやすいが、外交官特権があるので逮捕される心配は少ない。NOCは自由に動きやすいが、民間人なので逮捕されやすいというリスクが存在する。2010年6月に「美人過ぎるスパイ」として、アメリカの核弾頭開発計画に関するスパイ容疑で逮捕されたロシア人、アンナ・チャップマンAnna Chapman(1982― )はNOCに該当する。
現在でも必要があれば、暗殺がスパイ活動にまつわる手段として使われる。ロシアの情報機関であるロシア連邦保安庁(FSB)の元スパイ、アレクサンドル・リトビネンコAlexander V. Litvinenko(1962―2006)は、2006年11月にロンドンで放射性物質によって毒殺された。イギリス政府とヨーロッパ人権裁判所は、これをFSBによる犯行とみなしている。また、イスラエルのモサドは、2010年以降にハマスの指導者やイランの核物理学者を次々と暗殺しているとされる。
中国は世界各国の中国人留学生をスパイとして使い、その国の大学や研究機関から、先端技術情報の入手に努めていると指摘されている。2019年10月、オーストラリアに亡命を申請した王立強(おうりつきょう)(1993― )は、もともと、中国安徽(あんき)財経大学で油彩画を専攻する学生であったが、卒業後、中国人民解放軍総参謀部にリクルートされ、おもに香港(ホンコン)でスパイ活動に従事していた。しかし王は、スパイの任務に嫌気がさして亡命したとされる。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻においては、CIAとMI6が協力してウクライナの情報機関の立て直しを図った。ウクライナ保安庁(SBU)はもともと、ロシア連邦保安庁(FSB)の下部組織だったこともあり、組織内には多くのロシア内通者が存在していたため、それらの排除が実施されたのである。ロシア側は侵攻と同時にSBU内の親ロシア派を動かす計画であったが、結果としてこれは未然に防がれ、ウクライナ大統領ゼレンスキーVolodymyr Zelensky(1978― )の暗殺計画もCIAからの情報提供を基にSBUが防いでいる。
2010年以降になると、スパイ活動のヒューミントと通信傍受活動であるシギントSIGINT(Signals Intelligenceの合成語)をあわせた「ヒュギントHUGINT」とよばれる活動も行われるようになった。これは情報収集の対象者がもつスマートフォンやパソコンにアクセスし、対象者のアクセスや検索履歴から、関心事や趣味、毎日の生活パターンを調べあげてから、スパイが接触するというものである。こうすることで話を合わせやすく、相手との関係構築がスムーズに進む。このように現代も日本を含む各国で、スパイが暗躍しているものとみられる。