金属あるいは合成樹脂製の個人用の食器。その源を「面桶(めんつう)」あるいは「破籠(わりご)(破子(わりご))」といった容器に発している。面桶はおもにヒノキの薄板を曲げてつくられた曲物(まげもの)の一種で、楕円(だえん)あるいは円形をしている。地方により、メンパ、ワッパ、モッソウなど種々の呼称があるが、農民、漁師の携行品として普及していた。破籠については、江戸時代には姿を消したようであるが、要するに折り箱の原型であり、使い捨てにされていた。
両者は現在の弁当箱のルーツであるが、別に「弁当」「弁当箱」とよばれる器具がある。『和漢三才図会(ずえ)』には、「行厨(こうちゅう)」というものがあり、飯・汁・菜・酒また食器を収め、野外での食事に用いる、これを俗に弁当とよぶと記している。また『老人雑話』には、織田信長在城の時分に安土(あづち)城下で弁当というものがつくられ、「小芋程の内に諸道具をさまる」と記している。いずれも面桶のような個人用の器ではなく、精巧な道具であり、野宴のために使われたものである。
江戸時代には、大名が下僕に担わせるような大掛りな弁当箱が使われ、炭火をおこし、汁を温めたり、茶をいれることなどができたものも多い。なお、携帯用の茶釜(ちゃがま)を中心とした茶道具一式を、「茶弁当」とよんでいたが、本来の「弁当」とともに使われることが多かった。一説には「べんとう」とは、前述した「面桶」の漢音で、面桶を語源とするというが、江戸時代には、庶民の日常道具である面桶と、行楽の用具である弁当(箱)とは、はっきりと区別されている。