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ま‐がな 【真仮名・真仮字】(日本国語大辞典)
漢字を、そのままの字形で国語の音を示すために用いたもの。万葉がな。片仮名。*俚言集覧〔1797頃〕「真仮字とは今いふ万葉仮字にて、真字にて書たるをいふなり。片仮字、平仮字に対へて真仮字といふなり。此真仮字といふ名目は後に出来たる名目にて、古へは但仮字といひし也」

新古今和歌集(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本国語大辞典)
新古今和歌集序(仮名序)〔一〕和歌は、昔、天地が開け始めて、人の営みがまだ定らなかった時、日本の歌として、稲田姫の住んでいた素鵞の里から伝わっているということである。そうした時以来、和歌の道が盛んに興り、その流れは今日まで絶えることがなくて、恋愛に熱中したり

撰集抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代の仏教説話集。著者不明。九巻九冊もしくは三冊の広本と九巻三冊の略本とがあり、広本は説話数百二十一、略本は五十八。巻末に、寿永二年(一一八三)讃州善通寺の方丈の庵で記したとあるが、認め難い。成立年代については、多くの内部徴証を勘案した諸説があって

東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の紀行文学。伝本により『長明道之記』『親行道之記』などとも題するが、作者は鴨長明や源親行とは考えられず、不明。一巻。仁治三年(一二四二)成立か。五十歳に近づいた作者がこの年八月はじめて関東に下ることになり、馴れぬ旅路に十余日を経て鎌倉に着くまでの

八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の最大の歌学書。順徳天皇の御撰。全六巻。承久三年(一二二一)までに成ったと思われる原稿本は伝存不明。佐渡において増補されたのが草稿本(内閣文庫蔵本など)であり、さらに増補し藤原定家に与えられたものが広く伝存し、後人が私記を追加したものがあり

今物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
倉時代の説話集。一巻。『本朝書籍目録』に「信実朝臣抄」とし、藤原信実の編著と伝えられる。延応元年(一二三九)以後遠からぬ時期の成立か。平忠度・徳大寺実定などと女房たちとの情話をはじめ、和歌・連歌に関する芸能談を中心に、僧侶の滑稽談に及ぶ短篇五十三を収める

小倉百人一首(国史大辞典・世界大百科事典)
百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった

新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第九番目の勅撰和歌集。撰者は藤原定家。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・賀・羈旅・神祇・釈教・恋(一―五)・雑(一―五)の二十巻から成る。歌数千三百七十四首。貞永元年(一二三二)六月十三日、後堀河天皇から古今の歌を撰進せよとの勅命

建礼門院右京大夫集(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉初期の私家集。二巻。建礼門院右京大夫の歌を収める。自撰。貞永元年(一二三二)頃の成立。承安四年(一一七四)からの歌約三六〇首をほぼ年代順に収めたもの。建礼門院への宮仕え、平資盛との恋愛、平家没落、大原の建礼門院訪問、後鳥羽院への

海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行。一冊。『鴨長明海道記』と題した本もあり、源光行・如願法師を著者とする説もあるけれど、いずれも年齢的に合わないので誤り。著者は不明であるが本書の序の部分に、白河のわたり中山の麓に閑居幽棲する侘士で齢は五旬、遁世して頭陀を事としている者とある

閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
随想的性格の強い中世の仏教説話集。二巻。古く慈円の著といわれてきたが、書中に著者が入宋したと述べているのを手がかりとして、契沖は慶政が著者であろうと推測した。決定的資料を欠くが内部徴証や各種情況証拠からみて、慶政著作説は動かないと思われる。成立は跋文相当箇所に

承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に

愚管抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる

神皇正統記(国史大辞典・世界大百科事典)
南北朝時代に書かれた歴史書。北畠親房著。片仮名まじりの文で書かれ、当初の巻数は未詳であるが、流布本の多くは六巻。親房は、暦応元年(延元三、一三三八)九月、南朝の頽勢を挽回するために、義良親王・次子顕信とともに海路伊勢から東国に

玉葉和歌集(世界大百科事典)
〈二十一代集〉中第14番目の勅撰和歌集。20巻。伏見院の院宣により1312年(正和1)に京極為兼が撰進。《玉葉集》と略称。後の《風雅和歌集》とともに,京極派の歌風を中心とする勅撰集として,《新古今集》以降の勅撰集のなかで異彩を放っている。当時の歌壇に

とはずがたり(全文全訳古語辞典・日本歴史地名大系・日本古典文学全集)
鎌倉後期の日記。後深草上皇に愛された二条(=源雅忠(マサタダ)ノ娘)の著。十四歳で上皇の寵愛を受けて以来の恋の遍歴と、三十二歳で出家した後、西行(さいぎょう)の跡を慕って諸国を旅するさまを描く。深い自照性があり、作者の魂の歩みが浮き彫りにされている。

十六夜日記(国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集)
阿仏尼の日記紀行文学。伝本により『いさよひの記』『阿仏の道の記』『阿仏房紀行』などとも題する。藤原為家がはじめ長男為氏に譲った播磨の細川荘を、のちに悔返して為相に譲ったが、為家の没後為氏が手放さなかったため、為相の母阿仏尼が

弁内侍日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の女房日記。弁内侍著。二巻。成立年は未詳であるが、おそらく正元元年(一二五九)十一月二十六日の後深草天皇の譲位後さほど隔たらないころにまとめられたか。現存本は寛元四年(一二四六)正月二十九日後嵯峨天皇の譲りを受けて

万葉集註釈(国史大辞典・日本国語大辞典)
鎌倉時代の注釈書。仙覚著。十巻。文永六年(一二六九)四月二日の成立。『仙覚抄』『万葉集抄』とも呼ばれる。はじめに『万葉集』の成立事情、『万葉集』の名義、撰者などの考証があり、次に巻一以下順番に難解歌をあげて注を加えている。とりあげた歌を歌体別にみると短歌六百九十首

釈日本紀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代中期に著わされた『日本書紀』の注釈書。卜部兼方(懐賢)著。二十八巻。略して『釈紀』ともいう。成立年は未詳であるが、兼方の父兼文が文永十一年(一二七四)―建治元年(一二七五)に前関白一条実経の『日本書紀』神代巻に関する質問に答えたことが文中にみえ、正安三年

古今著聞集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の説話集。橘成季著。二十巻。建長六年(一二五四)成立。巻頭に漢文の序、巻末に和文の跋および成立年時と自署がある。本文は、神祇・釈教・政道忠臣・公事・和歌・管絃歌舞・博奕・偸盗・恠異・変化・魚虫禽獣ほか、所収説話の話柄によって三十篇に分類

十訓抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の説話集。古くは「じっくんしょう」か。三巻十篇。いわゆる妙覚寺本の奥書に、「或人云、六波羅二臈左衛門入道作云々、長時時茂等奉公」とあり、著者は六波羅庁の北条長時・時茂に仕えた人物らしく、奥書と序によれば出家後の晩年、東山の庵で念仏のひまに本書を著わしたという

増鏡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歴史物語。作者未詳。十七巻。十四世紀後半の成立。『益鏡』『真寸鏡』とも書き、『源起記』と題した写本もある。治承四年(一一八〇)後鳥羽天皇の誕生から筆を起し、元弘三年(一三三三)後醍醐天皇が配所の隠岐から帰京するまでの歴史を、貴族社会を中心にして仮名書き雅文体で

河海抄(世界大百科事典)
南北朝時代の《源氏物語》注釈。20巻。著者は四辻(よつつじ)(源)善成。将軍足利義詮(よしあきら)の命により,貞治年間(1362-68)に成る。平安末期以来の《源氏物語》研究の成果を集成し,著者の見解をも加味して一書となしたもの。内容は,語句の解釈,

曽我物語(国史大辞典・世界大百科事典)
曾我十郎祐成(幼名一万)・五郎時致(幼名箱王)の兄弟が、十八年間の苦難に耐え、建久四年(一一九三)五月、富士野の狩場に父祐通(一説に祐重・祐泰)のかたき工藤祐経を討つまでを語る、軍記物語風の伝記物語。仇討ちは果たしながら、横さまの死をとげねばならなかった兄弟の霊魂が

菟玖波集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
南北朝時代の准勅撰の連歌の撰集。連歌師救済の協力のもとに二条良基が編集。二十巻。延文元年(一三五六)の冬から翌年の春の間に完成。延文二年閏七月十一日に勅撰に准ぜられているが、これは佐々木導誉の働きによる。冒頭に漢文序と仮名序を置き、以下、四季(一―六)

神道集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
説話集。「安居院作」と記してあるが、具体的な編者は不明。14世紀後半(文和・延文年間)の成立か。10巻50条。天台宗および伊勢神道色の濃い本地垂迹の教義と、有名諸神社の本地仏を記してある。とくに赤城・伊香保・児持山大明神など上野国(群馬県)の利根川西側の神社を中心にして

梅松論(国史大辞典・世界大百科事典)
歴史物語、軍記物語。二巻二冊。作者未詳。貞和五年(正平四、一三四九)成立が通説(菅政友)であるが、一方、上限を正平七年(一三五二)とし下限を嘉慶年間(一三八七―八九)とする説もある。後者の説は、『梅松論』を典拠としている『源威集』の推定成立年代を念頭に置き

新撰菟玖波集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
准勅撰連歌集。宗祇・兼載ら編。和文序一巻と二十巻。集句は永享前後から明応三年(一四九四)末、四季六巻・賀(含哀傷)・恋三巻・羈旅二巻・雑五巻(含聯句)・神祇一巻(含釈教)・発句二巻。他に作者部類一巻。総句数二千五十三句(うち発句

水無瀬三吟百韻(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
長享二年(一四八八)正月二十二日、後鳥羽院の二百五十年の忌日に水無瀬宮法楽として同御影堂に奉納した何人連歌。一冊。正しくは「水無瀬三吟何人百韻」という。何人が賦物で、発句の一字「山」と熟して山人と賦す。発句「雪ながら山もと霞む夕哉