日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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壬申の乱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天智天皇の死の翌年の六七二年に起った皇位継承をめぐる大規模な内乱。壬申の年にあたるので壬申の乱という。なお、『日本書紀』は弘文天皇(大友皇子)の即位を認めず、この年を天武天皇元年とする。乱の直接の原因は皇位継承の争いである。天智天皇は、大化改新を断行
倭の五王(日本大百科全書・世界大百科事典)
中国史料にその名が伝えられた5世紀の5人の倭国王。『宋書(そうじょ)』と『南史』では讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)、『梁書(りょうしょ)』では賛・彌・済・興・武と記す。しかし、讃と賛は音通、珍と彌も一見文字の違いは大きいが
ヒトラー(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
ドイツの政治家。第三帝国の総統兼首相、ナチスの指導者。[村瀬興雄]▲青壮年期オーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として4月20日ブラウナウ(現オーストリア)に生まれる。若くして両親を失い、ウィーンで画家になろうとして失敗し、同市の公営施設を定宿と
応仁記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
応仁・文明の乱を題材とした室町時代の戦記文学。著者は明らかでないが、成立の時期は応仁・文明の乱の直後、それも文明五年(一四七三)からさほど時間を経ないころの作と考えられる。内容は三巻からなっているが、各巻とも何々事という見出しを付したいくつかの話に
文官分限令・文官懲戒令(日本大百科全書)
1899年(明治32)3月に第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣の手で公布された、一般文官の身分および職分の保障に関する規定と、懲戒に関する規定。前者では、官吏の身分保障、免官、休職、降任、休職中の俸給、復職などについての原則が規定され、官吏の身分
近世説美少年録(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書)
大将であった菊池武政の嫡子肥後守武朝の残党の、菊池肥後太郎武俊と呼ばれる者が、亡くなった武朝に縁のある者を集めて、肥後国阿蘇郡の阿蘇山の古城に立て籠り、近郷や隣郡を襲撃して、もっぱら猛威を振るう実情を、九州の守護大伴親春・太宰少弐らが上京させた急使が
菅原道真(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の律令(りつりょう)官人。政治家、文人、学者として名が高い。是善(これよし)の子で母は伴(とも)氏。本名は三、幼名を阿呼(あこ)といい、後世菅公(かんこう)と尊称された。従(じゅ)二位右大臣に至る。承和(じょうわ)12年6月25日、父祖三代の
二・二六事件(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
陸軍皇道派青年将校によるクーデター事件。1936年(昭和11)2月26日早暁、歩兵第一・第三連隊、近衛(このえ)歩兵第三連隊など約1500人の在京部隊が、首相・蔵相官邸、警視庁はじめ、政府首脳や重臣の官・私邸、朝日新聞社などを襲撃した。指揮にあたった
藤原秀衡(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
古代末期東北の武将。清衡(きよひら)の孫、基衡(もとひら)の子。鎮守府将軍。陸奥守(むつのかみ)に任ぜられて、平泉(ひらいずみ)政権を北方の独立王国の地位に高めるとともに、平氏、源氏と並ぶ第三の政治勢力として評価されるまで権威あるものにした
アレクサンドロス(日本大百科全書・岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
マケドニア王(在位前336~前323)。「大王」(マグヌスMagnus)とよばれたのは、ローマ共和政末期の軍人や政治家が彼らの業績の大きさをアレクサンドロスのそれに対比させたことに始まる。父はフィリッポス2世、母はマケドニアの西エペイロスの王族の娘
古代オリエント文明(日本大百科全書)
紀元前3200年ごろから紀元前4世紀後半のアレクサンドロス大王による統一まで、およそ3000年間、西アジア、エジプトに栄えた世界最古の文明。[高橋正男]▲古代オリエント学の誕生現在のイラン、イラク、シリア、トルコ、レバノン、ヨルダン、イスラエル
大友宗麟(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五三〇-八七戦国時代の武将。豊後・筑後・肥後・筑前・豊前・肥前六ヵ国守護。享禄三年(一五三〇)生まる。大友氏二十代義鑑の長子。幼名塩法師丸、のち五郎また新太郎。左衛門督、従四位下。諱は義鎮(よししげ)。入道宗麟・円斎・三非斎。キリスト教名
岩倉使節団(日本大百科全書・世界大百科事典)
1871年(明治4)11月から1873年9月にかけて、約1年10か月、米欧12か国を歴訪した、出発時46名よりなる使節団。特命全権大使は右大臣岩倉具視(いわくらともみ)で、副使は参議木戸孝允(きどたかよし)、大蔵卿(おおくらきょう)大久保利通
古事記伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古事記』の注釈書。著者、本居宣長。四十四巻、附巻一。出版開始、寛政二年(一七九〇)、完了、文政五年(一八二二)。本居宣長は賀茂真淵に面会(宝暦十三年(一七六三))したのち、『古事記』を解読、注釈することの意志をかため、真淵に入門し、『万葉集』の訓読
飛鳥美術(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本に仏教が伝来した6世紀の中ごろから、645年の大化改新までの約1世紀間にわたり、大和(やまと)(奈良県)の飛鳥地方に開花した美術。百済(くだら)の聖明王が仏像、経典などをわが朝廷に献じたのが538年(宣化(せんか)天皇3)あるいは552年(欽明
神社建築(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
神社の社殿およびその付属建築。古代人は、神霊のよる神聖な場所を神籬(ひもろぎ)として崇(あが)め、また祖先の霊を祀(まつ)るために、伝来の宝物を御霊代(みたましろ)として崇めた。したがって、神籬のある場所、御霊代を祀る場所が、その神の社地として定着し
仏教建築(日本大百科全書)
仏教に関する祭祀(さいし)、信仰、布教などのために建てられた建築。紀元前5~前4世紀の仏教勃興(ぼっこう)当初は、礼拝(らいはい)対象とする仏像も、それを納める仏堂もなかった。宗教施設としての構築物がみられるのはブッダ(仏陀)の没後(前486ないし
ライチョウ(日本大百科全書・世界大百科事典)
広義には鳥綱キジ目キジ科ライチョウ亜科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの一種をさす。この亜科Tetraoninaeは7属16種からなる。短く頑丈な嘴(くちばし)と、先が丸い短い翼をもつ。尾は長くない。キジ目のほかの鳥とは、とくに足に違いがあり
阪神・淡路大震災(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1995年(平成7)1月17日午前5時46分、兵庫県を中心として阪神地方に甚大な被害を与えたマグニチュード7.3(2001年精査前はマグニチュード7.2)の巨大地震災害の一般的な呼称(災害名。政府の発表による)。地震の名称は兵庫県南部地震である
梶原景時(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一二〇〇 鎌倉時代前期の武将。相模国住人五郎景清の子。通称平三。源頼朝挙兵の時、大庭景親に属したが、石橋山にいき、頼朝の危急を救い、のち頼朝に従って、源義仲追討をはじめ、平家追討に功があった。文治元年(一一八五)屋島攻撃の際、源義経と逆櫓の策を争い
源義仲(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一五四-八四 平安時代後期の武将。木曾義仲・木曾冠者・旭将軍と称される。久寿元年(一一五四)に生まれる。父は春宮帯刀長源義賢、母は遊女と伝える。寿永二年(一一八三)の入洛以前は根本資料を欠き、延慶本・盛衰記・長門本など語り系の『平家物語』によらざるを
源頼家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一一八二-一二〇四 鎌倉幕府の第二代将軍。一二〇二―〇三在職。源頼朝の長男。母は北条政子。寿永元年(一一八二)鎌倉の比企能員邸に生まれる。幼名は万寿(または十万)。能員妻・河越重頼妻(能員の妹)・梶原景時妻らが乳母となる。頼家の安産を祈って源頼朝は
北条義時(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一六三-一二二四 鎌倉時代前期の第二代執権(一二〇五―二四)。相模守・陸奥守・右京権大夫を歴任、また駿河・伊豆・若狭・越後・大隅・信濃の守護となる。長寛元年(一一六三)北条時政の第二子として生まれる。母は伊東入道女。幼名は江馬四郎・江馬小四郎
日本神話の神々(日本大百科全書)
吉田敦彦編見出し項目は、主として『古事記』の表記としたが、『日本書紀』『風土記(ふどき)』などにのみ記載されている神名はその表記とした。『古事記』の略号を記、『日本書紀』の略号を紀とした。見出し項目の下に、【紀】として『日本書紀』の表記と、読みが
天之御中主神(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
『古事記』の神々のなかで最初に出現した神。別天神(ことあまつかみ)のことである。高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)とともに造化の三神ともいわれ、天の中心にあって天空を主宰している神の意。しかし、『延喜式』神名帳には
徳川実紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
初代家康(いえやす)以来10代家治(いえはる)に至る徳川将軍の実録。本編には編年体で歴代将軍の政治的業績を収録し、付録にはその嘉言(かげん)・善行を集め記す。本名は『御実紀』で、『徳川実紀』は俗称。「東照宮(家康)御実紀」のほかは歴代ごとに諡
読史余論(日本大百科全書・世界大百科事典)
新井白石(あらいはくせき)の著した史論書で、1712年(正徳2)における将軍徳川家宣(いえのぶ)への進講案。摂関(せっかん)政治から徳川家康の政権獲得に至る(実際は豊臣(とよとみ)秀吉の事業)までの政治史で、文徳(もんとく)天皇の世から建武中興
本朝通鑑(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸前期の幕府編修の歴史書。神代から後陽成(ごようぜい)天皇に至るまでの日本の通史。中国の『資治通鑑(しじつがん)』の名称と記述法に倣ったもの。正編(初名は『本朝編年録』)は林羅山(らざん)が3代将軍徳川家光(いえみつ)の命により編修、神武(じんむ)
信長公記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
織田信長(おだのぶなが)の伝記。『信長記(しんちょうき)』ともいう。作者は太田牛一(おおたぎゅういち)。1568年(永禄11)の信長上洛(じょうらく)から82年(天正10)本能寺の変で倒れるまでの15年間の事跡を、1年1巻として記す十五巻本と
吾妻鏡(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
鎌倉幕府が編纂(へんさん)した幕府自身の歴史書。東鑑とも書く。巻数未詳(現存部分は、欠巻1巻を含め52巻)。将軍ごとの編年体の形をとり、1180年(治承4)以仁王(もちひとおう)、源頼政(よりまさ)の挙兵から、1266年(文永3)前将軍宗尊
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