日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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十訓抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の説話集。古くは「じっくんしょう」か。三巻十篇。いわゆる妙覚寺本の奥書に、「或人云、六波羅二臈左衛門入道作云々、長時時茂等奉公」とあり、著者は六波羅庁の北条長時・時茂に仕えた人物らしく、奥書と序によれば出家後の晩年、東山の庵で念仏のひまに本書を著わしたという
古今著聞集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の説話集。橘成季著。二十巻。建長六年(一二五四)成立。巻頭に漢文の序、巻末に和文の跋および成立年時と自署がある。本文は、神祇・釈教・政道忠臣・公事・和歌・管絃歌舞・博奕・偸盗・恠異・変化・魚虫禽獣ほか、所収説話の話柄によって三十篇に分類
釈日本紀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代中期に著わされた『日本書紀』の注釈書。卜部兼方(懐賢)著。二十八巻。略して『釈紀』ともいう。成立年は未詳であるが、兼方の父兼文が文永十一年(一二七四)―建治元年(一二七五)に前関白一条実経の『日本書紀』神代巻に関する質問に答えたことが文中にみえ、正安三年
弁内侍日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の女房日記。弁内侍著。二巻。成立年は未詳であるが、おそらく正元元年(一二五九)十一月二十六日の後深草天皇の譲位後さほど隔たらないころにまとめられたか。現存本は寛元四年(一二四六)正月二十九日後嵯峨天皇の譲りを受けて
一言芳談(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の念仏行者らの信仰をめぐる法語類を集録した書。もと一巻。編者は不詳。頓阿が編集したとの説もあるが信じ難い。『徒然草』に本書からの引用があるので、『徒然草』成立時を最下限としてそれ以前半世紀ぐらいの間(一二八〇―一三三〇)に成ったと思われる。法然をはじめ浄土信仰者
元亨釈書(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代末期に虎関師錬が著わした仏教史書。三十巻。仏教の伝来から元亨二年(一三二二)までの約七百余年間にわたる諸宗僧侶の伝記や評論、および仏教関係の諸事蹟などを漢文体で記した日本仏教の略史である。『史記』『漢書』、または『仏祖統記』などの体裁にならって、全体の構成を
寛永諸家系図伝(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
「しょか」は「しょけ」と読む人もある。寛永年間(一六二四―四四)に江戸幕府が編修した系譜の書。仮名本・真名本各百八十六冊。松平氏・清和源氏・平氏・藤原氏・諸氏の五種、および医者・同朋・茶道の三類に分類して収めてある
寛政重修諸家譜(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛政年間(一七八九―一八〇一)に江戸幕府が編修した系譜の書。千五百二十巻目九巻序・条例一冊(千五百三十冊)。文化九年(一八一二)完成。『寛永諸家系図伝』編集の後、『譜牒余録』を経て、系譜の補筆改訂の動きが寛政の初年におこった
ややこ踊(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世末から近世初頭にかけて行われた、ややこ(幼女)による踊りの芸能。『御湯殿上日記』天正九年(一五八一)九月九日条に、宮中に参内して踊ったと記録されたのが、文献上の初見である。歌舞伎舞踊という名称が現われる以前の同じ芸能の総称だった。その意味で歌舞伎舞踊の直接的な
鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺蔵。国宝。紙本墨画。四巻。甲巻縦三〇・七センチ、全長一一五〇・八センチ。乙巻縦三〇・八センチ、全長一二二一・七センチ。丙巻縦三一・三センチ、全長一一一四・六センチ。丁巻縦三〇・九センチ、全長九四三・〇センチ
炬燵(こたつ)(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
床に炉を設け、上にやぐらを置き、ふとんを掛けて暖をとるもの。掘りごたつ。また、簡便にやぐらの底に板を張ってこれに火入れをおく置きごたつもある。室町時代に禅宗から広まり、古くは、やぐらそのものをこたつと呼んだ。今日では熱源に電気を用いる
プロテスタンティズム(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ルターやカルバンなどによる宗教改革に端を発し、今日では、ローマ・カトリック教会、東方正教会と並ぶキリスト教の一大勢力となった諸教派およびその思想の総称。プロテスタントということばは、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の改革否認に対する抗議宣言に由来するが、単なる抗議を超えて
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
随想的性格の強い中世の仏教説話集。二巻。古く慈円の著といわれてきたが、書中に著者が入宋したと述べているのを手がかりとして、契沖は慶政が著者であろうと推測した。決定的資料を欠くが内部徴証や各種情況証拠からみて、慶政著作説は動かないと思われる。成立は跋文相当箇所に
海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行。一冊。『鴨長明海道記』と題した本もあり、源光行・如願法師を著者とする説もあるけれど、いずれも年齢的に合わないので誤り。著者は不明であるが本書の序の部分に、白河のわたり中山の麓に閑居幽棲する侘士で齢は五旬、遁世して頭陀を事としている者とある
建礼門院右京大夫集(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉初期の私家集。二巻。建礼門院右京大夫の歌を収める。自撰。貞永元年(一二三二)頃の成立。承安四年(一一七四)からの歌約三六〇首をほぼ年代順に収めたもの。建礼門院への宮仕え、平資盛との恋愛、平家没落、大原の建礼門院訪問、後鳥羽院への
新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第九番目の勅撰和歌集。撰者は藤原定家。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・賀・羈旅・神祇・釈教・恋(一―五)・雑(一―五)の二十巻から成る。歌数千三百七十四首。貞永元年(一二三二)六月十三日、後堀河天皇から古今の歌を撰進せよとの勅命
正法眼蔵随聞記(国史大辞典・日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
道元が門下に示した示誡を孤雲懐奘が聞くに随って記録し、これをその門下が編集したもの。六巻。道元が宋から帰朝してのち、初開の道場である京都深草の興聖寺において、嘉禎年間(一二三五―三八)その門下の僧衆に示した示誡の集録である。明和七年
八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の最大の歌学書。順徳天皇の御撰。全六巻。承久三年(一二二一)までに成ったと思われる原稿本は伝存不明。佐渡において増補されたのが草稿本(内閣文庫蔵本など)であり、さらに増補し藤原定家に与えられたものが広く伝存し、後人が私記を追加したものがあり
東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の紀行文学。伝本により『長明道之記』『親行道之記』などとも題するが、作者は鴨長明や源親行とは考えられず、不明。一巻。仁治三年(一二四二)成立か。五十歳に近づいた作者がこの年八月はじめて関東に下ることになり、馴れぬ旅路に十余日を経て鎌倉に着くまでの
天目茶碗(日本大百科全書(ニッポニカ))
抹茶茶碗の一種。この呼称は、鎌倉時代に中国浙江省の禅寺天目山に学んだ僧侶が帰国に際して持ち帰った黒釉のかかった茶碗をわが国で天目とよんだのに始まるとされ、のちにはこの器形(天目形)のものを天目茶碗とよぶようになった。天目茶碗の基本形は、低く小さな輪高台をもち
竪穴住居(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を
ラクトン(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
環内にエステル基-COO-をもつ複素環式化合物の総称。環の大きさにより、4員環のβ(ベータ)-ラクトン、5員環のγ(ガンマ)-ラクトン、6員環のδ(デルタ)-ラクトン、……に分類される。β-、γ-ラクトン、……は、それぞれβ-、γ-ヒドロキシカルボン酸の環状エステルの構造をもつ
吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮で国字ハングルの創案(1443)以前に発達した漢字による朝鮮語の表記法のこと。吏道,吏吐,吏書などとも書く。広義には,漢字の音や訓を利用して行った朝鮮語表記の総称としても用いられ,三国時代の固有名詞や官職名の表記を含めていうこともあるが,狭義では,郷札,口訣
上代特殊仮名遣い(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
7、8世紀の日本語文献には、後世にない仮名の使い分けがあり、それは発音の違いに基づくというもの。キケコソトノヒヘミメモヨロおよびその濁音ギゲゴゾドビベの万葉仮名は、それぞれ二つのグループ(橋本進吉の命名により甲類、乙類とよんでいる)に分類でき、グループ間で
太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
久米舞(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
宮廷儀式に用いる国風歌舞の一つ。その起源は、早く王権に服属した古代の久米一族の風俗歌舞にあるといわれる。のちにこの久米集団は大伴連のもとで来目部(久米部)を形成し、主として戦闘に携わったが、その勇猛さは『日本書紀』と『古事記』神武天皇の条にみえる一連の来目歌
謡物(国史大辞典・日本大百科全書)
歌謡のうち、語りを主とする語り物に対し、特に旋律の豊かな韻文的なものをさす。歌うという根源的な行為によって成立するものとして和歌以降の詩歌の源泉をなすとともに、時代・環境を問わず存在し、内容上も田舎歌・都会歌、労作歌・遊宴歌、宗教歌・世俗歌、民謡・芸謡と多彩で
林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
インド系の舞楽。天平八年(七三六)、波羅門僧菩提僊那、林邑僧仏哲によって伝えられたという。ただし仏哲については実在を否定する説がある。初見は『続日本紀』天平宝字七年(七六三)正月条で、唐楽・吐(度)羅楽・隼人舞の歌舞などとともになされたとみえるが
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