改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」に掲載されている改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧です。
ジャパンナレッジは日本最大級のオンライン辞書・事典サービスです。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。

サンフランシスコ講和条約(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
太平洋戦争開始以来の戦争状態を終結させるために、日本政府が英米をはじめとする四十八ヵ国と締結した講和条約。公式名は「日本国との平和条約」。「対日平和条約」とも呼ばれている。締結の相手国は、アルゼンチン・オーストラリア・ベルギー・ボリビア・ブラジル

出世景清(日本古典文学全集・歌舞伎事典・世界大百科事典)
第一〔一〕妙法蓮華経観世音菩薩、普門品第二十五は大乗経典の骨髄のように主要な部分で、信心の行者は広大な慈悲にあずかり奉るという、観音の威力こそありがたいことである。平家の一族悪七兵衛景清は、西国四国の合戦において討ち死にしても当然のことであったが

拾遺往生伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大江匡房の『続本朝往生伝』のあとをついで、慶滋保胤の『日本往生極楽記』をふくめ、それまでに遺漏のあった異相往生人の行業を集め、後人への結縁・勧進のために三善為康が撰述した往生伝。『日本拾遺往生伝』ともいう。三巻。巻中・下の序によると、はじめは一巻の

三宝絵詞(東洋文庫・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
平安中期,出家した尊子内親王に源為憲が献じた仏教入門書。表題には「絵」とあるが,絵は失われて詞書だけがのこる。本生譚,経典の功徳,仏教・年中行事などを内容とする。1990年01月刊

三国伝記(日本大百科全書・世界大百科事典)
説話集。沙弥玄棟(しゃみげんとう)編。室町時代中期(15世紀前期)成立。インド、中国、日本の説話が順繰りに配され、全12巻、各巻30話、合計360話の集成である。漢文の訓読調を主体に、和漢の名詩句や美辞麗句をちりばめた技巧的な文章で展開しており

西行物語(世界大百科事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
西行の生涯を多数の歌をまじえて記した,鎌倉時代の物語。作者未詳。《西行一生涯草紙》《西行四季物語》《西行一代記》《西行記》とも称され,絵巻の形でも伝わる。鳥羽院の北面の武士藤原義清(のりきよ)は文武に秀でた青年であったが,25歳のとき友人の死を身近に

源平布引滝(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
人形浄瑠璃。時代物。五段。正本の作者署名は並木千柳、三好松洛。番付には作者竹田外記の名も加わる。寛延二(1749)年一一月大坂・竹本座初演。三段目切は二世政太夫、実盛(さねもり)の人形は初世吉田文三郎初演。《平家物語》を題材とする人形浄瑠璃の代表作の

源平盛衰記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
戦記文学。四十八巻。『平家物語』の諸異本のうち、読みもの系伝本として最も大部のもの。『臥雲日件録』文明二年(一四七〇)正月四日条に、玄会(玄慧)法印が三十四人の学究とともに『平家物語』の諸伝本について評論し、集成本を作った由の伝承を記しているが

渓嵐拾葉集(国史大辞典・世界大百科事典)
叡山の光宗が応長元年(一三一一)から貞和四年(一三四八)にかけて叡山天台の行事・作法や口伝法門などを集録したもの。もと三百巻あったと伝えるが、現在は百十三巻。顕部・密部・戒部・記録部・医療部・雑記部の六部からなり、当時の天台の顕・密・禅・戒に関する

天衣紛上野初花(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎狂言。世話物。七幕。河竹黙阿弥作。明治一四(1881)年三月東京・新富座初演。別名題《三幅対上野風景》。通称《河内山(こうちやま)と直侍(なおざむらい)》。配役は河内山宗俊=九世市川団十郎、片岡直次郎=五世尾上菊五郎、金子市之丞・比企東左衛門

国定忠次(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸後期の博徒。忠次(治)郎ともいう。上野国佐位郡国定村の出身。中農以上に属する長岡与五左衛門の長男。二一歳のとき博徒の縄張を譲られて以来博徒の親分となり、一八三四年(天保五)縄張争いから同じ博徒の島村の伊三郎を殺害し、有名となる。四二年賭場の最中に

鎌倉大草紙(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉御所足利氏を中心として関東の動静を記した史書。著者は東常縁に有縁の者との説もあるが、不詳。戦国時代ころの成立か。現行本は三巻。序文に「尊氏末流之遺書而関東大家之旧記」とあり、また下巻文中には『太平記』の欠を補うとの意あり、『太平後記』とも呼ばる。

神道(国史大辞典・世界大百科事典)
神道とは、日本民族の神観念にもとづいてわが国に発生し、主として日本人の間に展開した伝統的な宗教的実践と、これを支えている生活態度および理念をいう。神道は、二、三の教派を別にすれば、教祖を持たない自然発生的宗教であり、主として日本人の間で行われている

独占禁止法(世界大百科事典)
1947年,占領政策の一環としてなされた財閥解体等の経済民主化政策の成果を恒久的に日本に定着させるために,アメリカのアンチ・トラスト法(反トラスト法)を範にとって制定された法律。市場における公正で自由な競争を促進することにより,一般消費者の利益を確保

岸信介(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八九六-昭和時代の政治家。明治二十九年(一八九六)十一月十三日、山口県熊毛郡田布施村の酒造家佐藤秀助の次男として生まれ、のち父の生家(秀助は養子)岸家を継いだ。佐藤栄作は実弟である。大正九年(一九二〇)東京帝国大学法学部を卒業、農商務省に入り

コロボックル(日本大百科全書・世界大百科事典)
アイヌの小人説話。コロボックルともいう。コロポックルは穴の中に住んでいる小さな人であったと伝える。1枚のフキの葉の下に10人入れるほどであった。ササの葉を縫い合わせてつくった小船で漁に出る。ニシンが釣り針にかかると、5艘(そう)、10艘の船が力を

紀伊国屋文左衛門(国史大辞典・世界大百科事典)
?-一七三四江戸時代中期の江戸の豪商。略して紀文ともいう。その伝記は詳らかでないが、没年六十六歳といわれるので、寛文九年(一六六九)の生まれか。現在の和歌山県有田郡湯浅町別所の生まれと推定され、はじめ紀州のみかんを江戸に廻漕し、江戸から塩鮭を上方にも

解体新書(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日本における西洋解剖書の本格的翻訳書。杉田玄白・中川淳庵・石川玄常・桂川甫周らの協力で成った。ただし名は特に挙げられていないが、前野良沢が翻訳の指導的立場にあったことは確かで、他になお数名の協力者がいた。全五巻。安永三年(一七七四)刊。原書はドイツ

大日本史(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
水戸藩主徳川家が編纂し、明治維新以後は同家が事業を継続して完成した漢文の歴史書。神武天皇から後小松天皇に至る時代を対象として中国の正史の体裁である紀伝体に従って叙述。本紀七十三巻、列伝百七十巻、志百二十六巻、表二十八巻、合計三百九十七巻(別に目録

鎖国(国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
〔意義〕「鎖国」という言葉は、長崎のオランダ通詞中の逸材志筑忠雄(しづきただお)が、出島商館に在勤したことのあるドイツ人医師エンゲルベルト=ケンペルEngelbertKaempferの大著『日本誌』の蘭訳本付録の「現在のように日本帝国を鎖して、国民に

江戸幕府(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
徳川氏の全国統治の覇府で、慶長八年(一六〇三)家康の征夷大将軍補任に始まり、慶応三年(一八六七)慶喜の大政奉還に至るまで二百六十五年間続き、この間将軍の歴世十五代を数えた。武家政治史上、最も高度に組織された強大な統一政権である。〔成立〕家康の覇権掌握

征夷大将軍(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
もとは陸奥の蝦夷(これを「夷」といい、日本海側のそれを「狄」と称した)征討のために、朝廷が臨時に派遣する軍隊の総指揮官を意味したが、のちには幕府首長の職名となった。唐名に因んで大樹あるいは大樹将軍とも称す。古代の征夷大将軍は同大使ともいわれ

伊吹山(世界大百科事典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰で,標高1377m。地質は古生代石灰岩よりなり,山麓の古生層は石灰岩が少ない。その地質構造は,巨大な石灰岩が低角度の衝上面で石灰岩の少ない古生層の上に衝上したものとされていたが,褶曲に衝上を伴ったもので

江戸川乱歩(日本大百科全書・世界大百科事典・日本近代文学大事典)
推理作家。本名平井太郎。明治27年10月21日、三重県名張市に生まれる。早稲田(わせだ)大学政経学部卒業。中学生のころに黒岩涙香(るいこう)の『幽霊塔』などの作品に熱中して以来、欧米のミステリーを耽読(たんどく)。ペンネームは彼が傾倒したエドガー

盧溝橋事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1937年(昭和12)7月7日夜に始まる盧溝橋一帯での日中両軍の軍事衝突で、日中全面戦争の発端となった事件。中国では、「七・七事変」ともいい、日本政府は当時「北支事変」と称した。1935年、華北分離工作に本格的に乗り出した日本は、やがて支那(しな)

鉄道(世界大百科事典)
軌道(または軌条)や架線などの固定施設によって拘束され,決められた路線で運転される交通機関の総称。鉄道の経済的側面19世紀は〈鉄道の時代〉といわれる。鉄道は,産業革命の先頭に立ったイギリスから普及しはじめ,19世紀中ごろには西ヨーロッパ全土

九条兼実(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一一四九-一二〇七平安・鎌倉時代初期の公卿。月輪殿・後法性寺殿ともよばれた。藤原忠通を父として久安五年(一一四九)に生まれた。早く僧籍に入った者を除くと第三の男子であった。母は太皇太后宮大進藤原仲光女加賀。同母兄弟四人のうちの長子にあたる。保元三年

平賀朝雅(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
鎌倉前期の武将。朝政とも書く。父は武蔵守(むさしのかみ)義信(よしのぶ)。母は源頼朝(よりとも)の乳母(めのと)比企尼(ひきのあま)の三女。頼朝の猶子(ゆうし)。北条時政(ときまさ)の後妻牧方(まきのかた)の女婿(じょせい)。武蔵守、右衛門権佐

クリミア半島(世界大百科事典)
ウクライナ南部,黒海の北岸から南に突出した大きな半島。クリム半島とも呼び,面積2万5500km2。そのほぼ全域がウクライナのクリミア自治共和国に属する。北端は幅わずかに8kmのペレコプ地峡によってつながり,ここを道路と南ウクライナ~北クリミア運河が

クリミア戦争(日本大百科全書・世界大百科事典)
1853年から56年にかけて、ロシアと、トルコ・イギリス・フランス・サルデーニャの連合軍との間で行われた戦争。クリミア半島がその舞台となったところから、こうよばれる。[外川継男]▲原因戦争の直接のきっかけは、フランス国内のカトリックの人気取りを目ざす