1. ヘーゲル哲学
文庫クセジュ
ないだろう。本書は、へーゲルがどう読まれ、どう影響を与えてきたかを、年代順にたどりながら、ヘーゲル哲学の本質的な諸テーマを平易に解説する。
2. ヘーゲル哲学の基本概念
日本大百科全書
すなわち止揚する「合」の段階である。この概念は本来ヘーゲルのテキストには存在しないもので、フィヒテの概念をヘーゲル哲学の説明に援用したものにすぎないが、非常に多
3. がりん【賀麟】(Hè Lín)
世界人名大辞典
〔1902.9.20~92.9.23〕中国の哲学者,ヘーゲル研究者.四川金堂の人.清華学校入学[1919].《清華周刊》総編輯[25].卒業後アメリカに留学[2
4.
ふとうせん【傅統先】(
Fù Tǒngxiān)
世界人名大辞典
〔1910~85.3.2〕中国ムスリムの歴史学者,教育家.湖南常徳の生まれ.《中国回教史▼, 1940》の著者として有名.高級中学時代には,上海小桃園清真寺に寄
5. アクサーコフ(Konstantin Sergeevich Aksakov)
日本大百科全書
子、イワン・アクサーコフの兄。モスクワ大学卒業後、思想家スタンケービチのサークルに加わり、ヘーゲル哲学を学んだ。1840~1850年代には、スラブ主義の論客とし
6. アクサーコフ コンスタンチン・セルゲーヴィチ
世界文学大事典
作家セルゲイ・アクサーコフの長男。1830年代半ばスタンケーヴィチのサークルに参加,右派の立場からヘーゲル哲学を学ぶ。1840~50年代にはスラヴ派の論客となり
7. アナーキズム 28ページ
文庫クセジュ
『L・フォイエルバハとドイツ古典哲学の終結』〔一八八四〕のなかで、フリードリヒ・エンゲルスは、ヘーゲル哲学が論理的に史的唯物論と弁証法的唯物論に帰着することを、
8. アナーキズム 67ページ
文庫クセジュ
く、秩序の母である。この豊かな思想の引き立て役となっているのは、かつてプルードンが研究したヘーゲル哲学である。 実際には、ヘーゲルの弁証法とプルードンの弁証法
9. アナーキズム 72ページ
文庫クセジュ
砲兵士官に任官、それから数か月後に彼はモスクワへ出て、その地であらゆる学問研究に没頭(彼がはじめてヘーゲル哲学に接するのは、まさにこの時期である)、くわえて放浪
10. アナーキズム 81ページ
文庫クセジュ
心にアナーキズム的なテロルの思想を芽ばえさせているのは、バクーニンの扇動的な諸言動である。ヘーゲル哲学の奇妙にして、思いもかけぬ結果であろうか。バクーニンは、ヘ
11. 甘粕 石介
日本近代文学大事典
で活躍し、ヘーゲルやマルクスを論じてその芸術論、美学的原理の分析や紹介につとめた。主著に『ヘーゲル哲学への道』(昭9・10 清和書店)『芸術論』(昭10・5 三
12. アムラン(Octave Hamelin)
世界大百科事典
1856-1907 フランスの哲学者。ボルドー大学(1884),ソルボンヌ(1905)の教授を歴任。ヘーゲル哲学の影響をうけて,師のルヌービエのカント主義的立場
13. アルチュセール
日本大百科全書
アルジェリアに生まれ、パリのエコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)でバシュラールに就いてヘーゲル哲学を研究し、のち母校で哲学を講じる。マルクス主義に
14. イエス伝
世界大百科事典
めぐる論争に終止符を打ったのがD.F.シュトラウスの《イエス伝》(1835-36)である。シュトラウスはヘーゲル哲学から出発して福音書批判へと向かい,合理的説明
15. イギリス・ヘーゲル学派
日本大百科全書
e Idealismとよばれることもある。経験論や功利主義の伝統が強いイギリスにおいては、ヘーゲル哲学はドイツ思弁哲学の狂気を示す代表例としてみなされていたが、
16. イポリット
日本大百科全書
フランスの哲学者。ジョンザックに生まれる。1963年以降コレージュ・ド・フランスの教授。ヘーゲル哲学の研究に打ち込み、『精神現象学』のフランス語訳ならびに精細な
17. ウォレス(Wallace, William②)
世界人名大辞典
〔1843.5.11~97.2.18〕イギリスの哲学者.ファイフシャーに生まれ,セント・アンドリューズ大学に学ぶ[1859-64].T.H.グリーンの後任として
18. ウナムノ ミゲル・デ
世界文学大事典
ロス=リオスのクラウゼ哲学で二分されていた。内在論,コントの実証主義,スペンサーの進化論,ヘーゲル哲学などを学び,科学万能主義から,信仰を失う。84年,ビルバオ
19. 梯 明秀
日本近代文学大事典
。マルクス主義の立場からの経済哲学確立に努力し、『戦後精神の探究』(昭24・9 理論社)『ヘーゲル哲学と資本論』(昭34・11 未来社)『経済哲学原理』(昭37
20. かしやま-きんしろう【樫山欽四郎】
日本人名大辞典
明治40年5月1日生まれ。樫山純三の弟。昭和24年母校早大の教授となる。近世ドイツ哲学,とくにヘーゲル哲学を研究し,のち実存哲学を研究対象とした。ヤスパース協会
21. 加藤尚武
日本大百科全書
ヘーゲルのテキストのデータベース化というアイディアにつながる。1980年ヘーゲル研究をまとめた『ヘーゲル哲学の形成と原理』を上梓(じょうし)するが、そのもとにな
22. ガブラー(Gabler, Georg Andreas)
世界人名大辞典
〔1786.7.30~1853.9.13〕ドイツの哲学者.アルトドルフおよびイェナ[1804-07]で法学,哲学を修める.イェナではヘーゲルの下で学び,ギムナジ
23. キアケゴー セーレン
世界文学大事典
の危機や病患について無知なばかりか,それを助長する方向で展開されるとき,時代精神を主導するヘーゲル哲学もしくはヘーゲル主義との対決が必至と痛感された(『哲学的断
24. 機能的国家論
日本大百科全書
ギリスのような先進民主主義国にも現れ、ボーズンキットらによって国家の個人に対する優位を説くヘーゲル哲学が国家理論のなかに導入された。 これに対し、多元的国家論者
25. きよざわまんし【清沢満之】
国史大辞典
した。同期に岡田良平、一年下に沢柳政太郎らがおり、成績は首席であった。在学中フェノロサからヘーゲル哲学をきいた。予備門を卒業し、東京大学文学部哲学科に入学し、褒
26. キリスト教思想 109ページ
文庫クセジュ
ペペルザック『若きヘーゲルと世界の道徳的展望』(ハーグ、ナイホフ社、一九六〇年刊)、R・セロー『ヘーゲルとヘーゲル哲学』(クセジュ文庫、一九六八年刊)参照。(原
27. キリスト教思想 111ページ
文庫クセジュ
あばく「天才的証明」の作用をはたした。彼によって「宗教批判は実質的になしとげられた」のである(『ヘーゲル哲学批判への貢献』)。この領域では、マルクスはフォイエル
28. キリスト教思想 112ページ
文庫クセジュ
ヘーゲル哲学の大きな問題に客体化の問題があるが、フォイエルバッハが批判を加えたのはこの問題にほかならない。ヘーゲルにとって、まず「精神」が物質のなかに自己を疎
29. キリスト教思想 170ページ
文庫クセジュ
寄与を求めてきたからである。新プラトン哲学、アリストテレス哲学、デカルト哲学、カント哲学、ヘーゲル哲学、等々。したがって現代の危機も哲学思想の危機と無縁のもので
30. キリスト教思想 179ページ
文庫クセジュ
である。だが、たとえば教父神学がギリシア思想を統合しつつ形成されてゆく過程や、近代においてヘーゲル哲学がたどるキリスト教思弁の破綻の記述などに、思想史のもつ劇的
31. キルケゴール 12ページ
文庫クセジュ
端緒をひらいたのであった。そしてこの結末はというに、キルケゴールは、まず「ハイベルク教授はヘーゲル哲学を理解するのに早起きした」といって話題にすると、そのあとで
32. キルケゴール 32ページ
文庫クセジュ
刊行していて、そのなかで彼はキリストの啓示を体験したと断言しているが、それによるとキリストは、ヘーゲル哲学についての彼の著作を焼却するよう命じたという。彼は、一
33. クラシンスキ(Zygmunt Krasiński)
世界大百科事典
)では形而上・形而下の混然とした独特な世界の中に革命によって滅亡する伝統世界の悲劇を描く。ヘーゲル哲学,また当時の神秘思想や宗教的歴史解釈の影響が強くみられる。
34. クラシンスキ ジグムント
世界文学大事典
奪われたギリシャ人の主人公の運命をポーランド人の受難と重ね合わせた作品である。クラシンスキはヘーゲル哲学の影響下に宗教的な歴史解釈へ傾斜してゆき,『夜明け前』P
35. クレメル(Kremer, Józef)
世界人名大辞典
の他,ドイツ,フランスでも学び,クラクフ大学教授[1847-].同大学総長[70-71].ヘーゲル哲学の強い影響をうけ,哲学
36. グラノフスキー チモフェイ・ニコラエヴィチ
世界文学大事典
西欧派の論客の一人。貴族出身。1835年ペテルブルグ大学法学部卒業。36~39年ベルリンに留学。ヘーゲル哲学を勉強。39年帰国しモスクワ大学の世界史担当。西欧派
37. グラノーフスキー
日本大百科全書
歴史学の研究を志してドイツに留学、ランケらの講義を聴いた。この時期、スタンケービチの影響下にヘーゲル哲学に接する。帰国後はモスクワ大学教授としてヨーロッパ史を講
38. ケアード(Caird, John)
世界人名大辞典
〔1820.12.15~98.7.30〕イギリスの神学者,哲学者.グリーンノックに生まれる.E.ケアードの兄.グラスゴー大学に学び,牧師として活動[1845-]
39. 契機
日本大百科全書
あるいはその一局面のことを意味することもある。実際、すべての事象を生成発展の相としてとらえていこうとするヘーゲル哲学においては、この意味で使われている。清水義夫
40. 経験論
日本大百科全書
にかけて、ヘーゲル的観念論にとってかわられ、下火になるという倒錯した現象がみられた。だが、ヘーゲル哲学を頂点とするドイツ観念論の崩壊とともに、反動としての唯物論
41. 経済学方法論
日本大百科全書
である。思考の最高形式としての弁証法を体系づけたのはG・W・F・ヘーゲルであった。しかし、ヘーゲル哲学は観念論であったため、物質を一次的なものと考える唯物論の立
42. ゲルツェン(Aleksandr Ivanovich Gertsen)
世界大百科事典
スの社会主義思想に傾倒した。34年反政府的言動のかどで逮捕・流刑。39年にモスクワに帰還,ヘーゲル哲学の保守的解釈を奉ずるスタンケービチのサークルの人々と論争し
43. ゲルツェン(Gertsen, Aleksandr Ivanovich)
世界人名大辞典
〔1812.3.25~70.1.9〕帝政ロシアの革命的民主主義者,思想家.富裕な地主ヤーコヴレフ(Ivan Alekseevich Yakovlev 1767~
44. 現象
日本大百科全書
ヘーゲルにおいて現象こそが本質を示すのであり、すべての本質は現象する。絶対者自身が現象することがヘーゲル哲学の根本をなしている。(6)現象学における現象。ハイデ
45. 国家
世界大百科事典
に著しくゆがめられた形で,ナチズムやファシズムの国家観に現れたが,しかしそこでは少なくともヘーゲル哲学の合理性は完全に排除され,国家一元論は著しく非合理的かつ神
46. コーラー
日本大百科全書
hichte(1914)を書いた。学問方法論上コーラーは自ら新ヘーゲル派を称したが、彼にはヘーゲル哲学に本質的な弁証法がなかった。しかし、比較民族学的手法によっ
47. サマーリン(Samarin, Yury Fyodorovich)
世界人名大辞典
〔1819.4.21~76.3.19〕ロシアの哲学者.モスクワ大学に学び,ヘーゲル哲学に影響を受ける.内務官僚としてバルト海地方に着任,バルト・ドイツ人とロシア
48. シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph Schelling)
日本大百科全書
ここに、「自然哲学」がキリスト教における救済史をも包摂することによって、「積極哲学」が成立する。ヘーゲル哲学への批判を含む「積極哲学」とは、いっさいが神そのもの
49. シトゥール リュドヴィート
世界文学大事典
の民族運動を指導した。38年から2年間ドイツのハレの大学に留学して言語学と歴史を学び,特にヘーゲル哲学の影響を受けた。帰国後も民族啓蒙活動を続けたが,ハンガリー
50. 社会思想
世界大百科事典
協同生活をおこなう実験村を開設する。彼は社会主義思想の出発点を築いたのである。ドイツでは,ヘーゲル哲学から出発したマルクスが古典派の経済学を研究して労働の疎外構