1. 姉川の戦
世界大百科事典
1570年(元亀1)6月28日,近江国野村・三田村(現滋賀県長浜市,旧浅井町)付近の姉川河原で織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健(朝倉義景の属将)連合
2. あねがわ‐の‐たたかい[あねがはのたたかひ]【姉川の戦】
日本国語大辞典
元亀元年(一五七〇)織田信長、徳川家康の連合軍が、浅井長政、朝倉義景の連合軍と近江の姉川の川原で戦い、大勝した。浅井、朝倉両氏の滅亡の端緒となった戦い。姉川の合
3. あねがわのたたかい【姉川の戦】
国史大辞典
元亀元年(一五七〇)六月二十八日(新暦八月十日)、現在の滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田付近の姉川河原において、織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健連合
4. 姉川の戦
日本史年表
1570年〈元亀元(4・23) 庚午〉 6・28 信長・家康,近江姉川に浅井長政・朝倉義景を破る( 姉川の戦 )(津田文書)。
5. 姉川の戦い画像
日本大百科全書
1570年(元亀1)6月28日、近江(おうみ)(滋賀県)の姉川畔で繰り広げられた浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍の戦い。戦いのあった場所の地名をとって、野村合
6. 姉川の戦いの両軍布陣図[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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7. あおきかずしげ【青木一重】
国史大辞典
安土桃山・江戸時代前期の武将。忠助、所右衛門、また重通ともいう。青木重直の長男。徳川家康の家人のとき姉川の戦に参陣、勇名をはせたが、元亀三年(一五七二)丹羽長秀
8. 浅井氏画像
日本大百科全書
ところが1570年(元亀1)越前(えちぜん)(福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ)と結んで信長に背き、姉川の戦いに敗れてからは居城小谷(おだに)城にこもり、つ
9. 浅井氏
世界大百科事典
しての地位を確立し,さらに織田信長と結んで最盛期を迎えた。しかし70年(元亀1)信長と絶ち,姉川の戦で朝倉氏とともに大敗し,ついに73年(天正1)8月,久政・長
10. 浅井長政
世界大百科事典
と,長らく同盟関係にあった朝倉氏と協調し,信長に離反し抗争するに至ったが,浅井・朝倉連合軍は姉川の戦に大敗した。以後,本願寺,武田信玄,比叡山などと結び挽回を図
11. あさいながまさ【浅井長政】画像
国史大辞典
法号は養源院天英宗清のほかに仁如集堯による文英一雄がある。→朝倉義景(あさくらよしかげ),→姉川の戦(あねがわのたたかい),→小谷の方(おたにのかた) [参考文
12. 朝倉氏画像
日本大百科全書
越後上杉氏の背後を安からしめた。織田信長の台頭を迎え、敦賀(つるが)天筒山(てづつやま)の戦い、姉川の戦いと何度も信長と干戈(かんか)を交えたが、1573年(天
13. 朝倉氏
世界大百科事典
後,織田信長の台頭を迎えると一転して,本願寺,浅井,武田と提携し,信長包囲網を形成。1570年(元亀1)姉川の戦に敗れ,73年(天正1)刀禰坂の合戦に惨敗し,滅
14. 朝倉義景画像
日本大百科全書
武田信玄(しんげん)、本願寺などと同盟を結び、1570年(元亀1)から1573年(天正1)までの4年間、姉川の戦いをはじめ、よく信長と戦うが、天正(てんしょう)
15. 朝倉義景
世界大百科事典
る。本願寺教如に娘を嫁してこれと結び,浅井長政,武田信玄らと反信長勢力を形成。天筒山の合戦,姉川の戦など再三信長と矛を交えたが,73年8月,刀禰坂の合戦に敗れ,
16. あさくら‐よしかげ【朝倉義景】
日本国語大辞典
朝倉孝景〔一〕の子。越前一乗谷城主。法名松雲院大球宗光。浅井長政と結んで織田信長に対抗したが、姉川の戦いで大敗。のち、信長に一乗谷を攻め落とされ、自刃した。永祿
17. あさくらよしかげ【朝倉義景】画像
国史大辞典
れて、検地によって村落農民を直接掌握するには至らなかった。→足利義昭(あしかがよしあき),→姉川の戦(あねがわのたたかい),→石山本願寺合戦(いしやまほんがんじ
18. あさくら-よしかげ【朝倉義景】
日本人名大辞典
子。越前(えちぜん)(福井県)守護。本願寺と和解し,浅井長政とむすんで織田信長に対抗したが,姉川の戦いに敗れ,天正(てんしょう)元年8月20日自害し,朝倉氏はほ
19. あざいちょう【浅井町】滋賀県:東浅井郡
日本歴史地名大系
本願寺と浅井氏の仲介を勤め、石山合戦に際しては浅井氏と連合して織田信長と対立した。町域南端は姉川の戦の戦場となったが、浅井氏が滅亡した後、町域は羽柴秀吉の支配下
20. あつみ-ともよし【渥美友吉】
日本人名大辞典
−? 戦国-織豊時代の武士。徳川家康の家臣。豪勇をうたわれ,元亀(げんき)元年(1570)の姉川の戦いで,槍がおれてもなお素手でたたかい,数人の敵をたおしたとい
21. 姉川
日本大百科全書
姉川扇状地には4条の旧河道と思われる河川もみられる。上流部は深雪地で林業地帯、中流域の長浜市野村は姉川の戦いの地。河口の南浜は近世に水運で栄えた。2002年(平
22. あね‐がわ[‥がは]【姉川】
日本国語大辞典
滋賀県琵琶湖東岸に注ぐ川。伊吹山地を源とし、高時川を合わせて養蚕地帯の三角州をつくる。元亀元年(一五七〇)
姉川の戦いの古戦場。[発音]アネ
ワ
23. あんどうし【安藤氏】画像
国史大辞典
彼は三河に住んで松平広忠に仕え、嫡子基能は徳川家康に属して三方原で戦死した。その子直次が田辺藩祖である。彼は姉川の戦以来の功によって幕府連署の重職に就き、やがて
24. いかぐん【伊香郡】滋賀県
日本歴史地名大系
田・井口・阿閉・雨森・磯野などの諸氏を被官に組織する領国体制を形成した。元亀元年(一五七〇)姉川の戦で織田信長に敗れ衰退する。しかし越前朝倉氏、明楽寺(現木之本
25. いけの-なみのすけ【池野浪之助】
日本人名大辞典
前にした尾張(おわり)(愛知県)丸根城攻めや,6年の三河一向一揆(いっき)の鎮圧にくわわる。のち姉川の戦い,三方原の戦いでも功をたてた。
26. いその-かずまさ【磯野員昌】
日本人名大辞典
の国人。浅井長政に属し,永禄(えいろく)4年(1561)佐和山城主となる。元亀(げんき)元年姉川の戦いに敗れ,佐和山に籠城(ろうじょう)したが,翌年織田信長軍に
27. いとう-やそう【伊藤弥惣】
日本人名大辞典
さかきばら-やすまさ)につかえた。12年の遠江(とおとうみ)(静岡県)掛川城の攻略をはじめ,姉川の戦い,三方原(みかたがはら)の戦い,長篠(ながしの)の戦い,小
28. 稲葉一鉄
日本大百科全書
戦国・安土(あづち)桃山時代の武将。美濃(みの)三人衆の一人。幼名彦六。名を通以(みちもち)、通朝(みちとも)、貞通(さだみち)、長通(ながみち)、良通(よしみ
29. いなばいってつ【稲葉一鉄】画像
国史大辞典
氏家・安藤と謀ってこれに内通し、稲葉山城落城の足がかりをつくった。以後信長に仕え、美濃曾根城を居城とし、姉川の戦をはじめとする浅井・朝倉氏との合戦に功をたて、の
30. いなばし【稲葉氏】画像
国史大辞典
第六子良通(一鉄)が還俗して家を嗣ぐ。土岐氏没落の後は斎藤氏に、斎藤氏没落の後は織田信長に仕え、各地に転戦、姉川の戦・長島一揆などで軍功をあげ、氏家直元(卜全)
31. いぶきでら【伊吹寺】
国史大辞典
以後佐々木氏歴代の崇敬をうけた。貞和三年(一三四七)山麓の現寺地に移る。元亀元年(一五七〇)姉川の戦で焼失。もと観音・弥高・太平・長尾の四護国寺があったが、今は
32. えんりゃくじのやきうち【延暦寺の焼打】
国史大辞典
信長は永禄十一年(一五六八)九月、足利義昭を奉じて入京以来、伊勢・近江・畿内の一部をほぼ平定し、元亀元年六月、姉川の戦で浅井・朝倉両氏を破り、七月、岐阜に帰った
33. 延暦寺焼打
日本大百科全書
1571年(元亀2)9月、織田信長が比叡山(ひえいざん)の延暦寺を焼き払った事件。1570年4月、浅井長政(あさいながまさ)は信長に反旗を翻して朝倉義景(あさく
34. おうみのくに【近江国】滋賀県
日本歴史地名大系
久間信盛、長光寺(現近江八幡市)に柴田勝家、安土に中川重政を配して鎮圧に当たった。同年六月の姉川の戦に大勝すると、横山(現長浜市)に木下秀吉(のち羽柴、豊臣)を
35. おおくぼ-ただなお【大久保忠直】
日本人名大辞典
織豊-江戸時代前期の武士。天文(てんぶん)20年生まれ。大久保忠俊の6男。徳川家康につかえ,姉川の戦いで戦功をたて,荒之助の名をあたえられた。小牧・長久手(なが
36. おおくぼ-やすただ【大久保康忠】
日本人名大辞典
大久保忠勝の長男。徳川家康につかえ,永禄(えいろく)6年家康より1字をもらい康忠を名のった。姉川の戦い,小牧・長久手(ながくて)の戦いで戦功をたてた。元和(げん
37. おおた-よしかつ【太田吉勝】
日本人名大辞典
三河(愛知県)の人。徳川家康につかえ,永禄(えいろく)11年(1568)の掛川城攻め,元亀(げんき)元年の姉川の戦いで戦功をたてる。のち長篠(ながしの)の戦いな
38. おがさわら-ながただ【小笠原長忠】
日本人名大辞典
。今川氏に属していたが,父氏興の時から徳川家康にしたがう。永禄(えいろく)12年家督をつぎ,姉川の戦いに参加。天正(てんしょう)2年城を武田勝頼軍に包囲され降伏
39. 奥平信昌
日本大百科全書
江戸初期の大名。美濃(みの)国(岐阜県)加納(かのう)城主。通称九八郎。初名は定昌。父貞能(さだよし)とともに徳川家康に仕え、初陣は1570年(元亀1)の姉川(
40. 奥平信昌
世界大百科事典
奥平美作守貞能の嫡男。初名定昌,九八郎。幼時より父貞能とともに徳川家康に仕え,1570年(元亀1)姉川の戦に初陣。一時は武田信玄に属したが信玄没後再び家康に帰順
41. おくだいらのぶまさ【奥平信昌】
国史大辞典
。弘治元年(一五五五)三河に生まれた。父の代から徳川家康に任えた。元亀元年(一五七〇)の近江姉川の戦には父とともに出陣している。天正三年(一五七五)の長篠の戦で
42. おくやま-きゅうがさい【奥山休賀斎】
日本人名大辞典
奥山流(奥山新影流)の祖。新陰流の祖上泉(こういずみ)伊勢守秀綱にまなぶ。奥平貞能(さだよし)につかえ,姉川の戦いに織田・徳川連合軍にくわわる。天正(てんしょう
43. おぐり-またいち【小栗又一】
日本人名大辞典
?−1616 織豊-江戸時代前期の武将。徳川家康につかえ,姉川の戦いで功をたてる。のち使番,大番頭(おおばんがしら),軍奉行をつとめる。つねに一番槍の功をたて,
44. おしかもじょうあと【鴛鴨城跡】愛知県:豊田市/上郷・高岡地区/鴛鴨村
日本歴史地名大系
親久は一向一揆から鴛鴨城を守り、永禄八年(一五六五)に没している。また忠久は、元亀元年(一五七〇)姉川の戦に参加している。小畔屋敷の焔王山遍照寺は、鴛鴨城主松平
45. 小谷城
世界大百科事典
れたものらしい。城下の清水谷,須賀谷には,重臣団の屋敷,当主の居館があった。70年(元亀1)姉川の戦で敗れ,小谷城へ敗走した長政は,ここで織田軍と対峙したが,つ
46. 織田信長
世界大百科事典
造営する一方,殿中掟・事書五箇条を定めて将軍権力を牽制し,70年(元亀1)浅井・朝倉軍を近江姉川の戦に破り,ついで河内に進出したところ石山の本願寺顕如が決起して
47. 織田信長
日本史年表
1570年〈元亀元(4・23) 庚午〉 6・28 信長・家康,近江 姉川 に浅井長政・朝倉義景を破る(姉川の戦)(津田文書)。 1570年〈元亀元(4・23)
48. おだ-のぶなが【織田信長】
日本人名大辞典
擁立して京都にはいるが,のち対立。天正(てんしょう)元年義昭を追放し,室町幕府をほろぼす。浅井・朝倉連合軍との姉川の戦いで勝利し,伊勢(いせ)長島の一向一揆(い
49. おだのぶなが【織田信長】
日本架空伝承人名事典
造営する一方、殿中掟・事書五箇条を定めて将軍権力を牽制し、七〇年(元亀一)浅井・朝倉軍を近江姉川の戦に破り、ついで河内に進出したところ石山の本願寺顕如が決起して
50. おとわむら【音羽村】滋賀県:高島郡/高島町
日本歴史地名大系
書)。当村などの大工は横江組に属し、組頭は当村の村谷家であった。村谷家は元亀元年(一五七〇)姉川の戦に参加して敗れ、音羽庄に身を隠し、のち大工を稼業とする。織田