1. 長篠の戦
世界大百科事典
1575年(天正3)5月21日に織田信長,徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍を三河の設楽原(したらがはら)(現,愛知県新城市)で破った合戦。武田信玄の没後,家康が長
2. ながしののたたかい【長篠の戦】
国史大辞典
もとに後世描かれたものである。 [参考文献]参謀本部編『長篠役』(『日本戦史』)、高柳光寿『長篠の戦』(『新書戦国戦記』六)、渡辺世祐「鉄砲利用の新戦術と長篠戦
3. 長篠の戦
日本史年表
1575年〈天正3 乙亥〉 5・21 信長・徳川家康,長篠に勝頼を大破( 長篠の戦 )(細川家文書)。
4. ながしの の 戦(たたか)い
日本国語大辞典
天正三年(一五七五)、三河国(愛知県東部)の長篠城を包囲した武田勝頼の軍と、織田信長・徳川家康の連合軍とが設楽原(したらがはら)で戦った戦い。信長側の鉄砲使用に
5. 長篠の戦い画像
日本大百科全書
1575年(天正3)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、武田勝頼(たけだかつより)と徳川家康・織田信長連合軍との合戦。長篠は信濃(しなの)(
6. 長篠の戦い[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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7. 愛知(県)画像
日本大百科全書
本州、太平洋岸のほぼ中央に位置する県。県庁所在地の名古屋市は別に「中京」ともよばれている。 大化前代には尾張(おわり)、三河、穂(ほ)の3国に分かれていたが、大
8. あかぞなえ【赤備】
国史大辞典
赤ごしらえとして、隊士全員に及んだのであり、武田配下の甲州武士の所用が著名である。初見は『総見記』には、長篠の戦に山県昌景の隊を赤旗赤備としているが、『信長公記
9. あつみ-かつよし【渥美勝吉】
日本人名大辞典
織豊時代の武士。弘治(こうじ)3年生まれ。徳川家康につかえ,天正(てんしょう)3年(1575)の長篠の戦いなどでおおくの功をたて,敵の首をとること無数,頸取(く
10. 安土桃山時代
日本大百科全書
時代区分 織田信長(おだのぶなが)と豊臣秀吉(とよとみひでよし)とがそれぞれ政権を掌握した時代の名称。織豊(しょくほう)時代(織田豊臣時代)ともよばれる。安土時
11. あまのし【天野氏】
国史大辞典
天野氏は北方の武田氏、南方の徳川氏の二大勢力にはさまれたが、結局武田氏に属した。天正三年(一五七五)三河長篠の戦によって武田氏が打撃を受けると、天野氏は徳川氏に
12. あめやまむら【雨山村】愛知県:額田郡/額田町
日本歴史地名大系
天正元年(一五七三)奥平貞能・信昌父子宛に家康の本領安堵・新領給恩起請文(徳川家康文書の研究)が長篠の戦前に出されているから、同一八年吉田(現豊橋市)城主池田輝
13. あんなかし【安中市】群馬県
日本歴史地名大系
安中氏と結んだ長野氏の箕輪城(現群馬郡箕郷町)も同九年落城、長野氏一族は自刃し、安中氏一族も長篠の戦で全滅した。〔近世〕天正一八年(一五九〇)徳川家康の関東入国
14. あんなかじょうあと【安中城跡】群馬県:安中市/安中城下
日本歴史地名大系
ともども起請文を提出して武田方への臣従を誓ったが(生島足島神社文書)、天正三年(一五七五)の長篠の戦で討死して城は廃絶、「農民の畑」(安中志)になったという。「
15. いおうじ【医王寺】愛知県:南設楽郡/鳳来町/長篠村
日本歴史地名大系
を寄進、慶長八年(一六〇三)四一石余の朱印地を付せられている。裏山を医王寺山といい、天正三年長篠の戦で、武田勝頼はこの山を本陣として、長篠城を包囲攻撃した。同年
16. いこまちかまさ【生駒親正】画像
国史大辞典
母は曾根氏。永禄九年(一五六六)織田信長に仕え、のち豊臣秀吉に従って身を起し、天正三年(一五七五)の長篠の戦、四年の本願寺征伐、五年の紀州雑賀一揆討伐、六年の美
17. いっきこうぞうのかいたいとてんかびと【一揆構造の解体と天下人】 : 織豊政権
国史大辞典
の統治に乗りだした。同年越前の朝倉義景、近江の浅井長政を滅ぼし、天正三年には徳川家康と結んで長篠の戦に武田勝頼を破り、その後も石山本願寺と一向一揆や荒木村重の叛
18. いぬいじょう【犬居城】
国史大辞典
天野は武田の陣営に走ったので、長篠の戦の前後二度にわたり徳川家康の攻撃をうけていた。天正二年(一五七四)の犬居攻撃は長篠の戦の前哨戦として、この城の難攻不落ぶり
19. いわくらじんじゃ【石座神社】愛知県:新城市/大宮村
日本歴史地名大系
)八月、和志津村田地五町八反を牧野右馬丞より寄付の文書ありと伝えている。織田信長・徳川家康が長篠の戦に戦勝祈願を行ったといい、新城藩主菅沼氏の崇敬もあつかった。
20. えなぐん【恵那郡】岐阜県
日本歴史地名大系
御坊丸は人質として甲府に送られた。天正元年(一五七三)武田信玄が病没し、同三年織田・徳川連合軍は長篠の戦で武田勝頼を破り、余勢をかって岩村城を攻撃、岩村城・明知
21. 大久保忠世
世界大百科事典
,織田氏との合戦に功があった。永禄末年,一手役(ひとてやく)(一軍団を預かる部将)となった。長篠の戦など武田氏との合戦にも戦功多く,遠州二俣城を与えられた。関東
22. おおわむら【大輪村】愛知県:南設楽郡/鳳来町
日本歴史地名大系
寒狭川と当貝津川との合流点の南にある。寒狭川河岸の岩上に祀られる弁財天は、長篠城主奥平貞昌が、長篠の戦で救援の使者を勤めた鳥居強右衛門の任務に対して御礼として建
23. 奥平氏
世界大百科事典
昌は今川氏,4代貞勝,5代貞能は松平氏(一時は武田氏)に属す。6代信昌は1575年(天正3)長篠の戦に大功を立て徳川家康の娘亀姫をめとり,1601年(慶長6)美
24. 奥平信昌
日本大百科全書
一時武田家に味方したが、まもなく帰参して三河の長篠(ながしの)城を預かる。75年(天正3)の長篠の戦いでは、武田勝頼(かつより)の大軍の包囲に堪えて城を固守し、
25. 奥平信昌
世界大百科事典
一時は武田信玄に属したが信玄没後再び家康に帰順。75年(天正3)武田勝頼の攻囲にたえて長篠城に籠城し,長篠の戦勝利への道を開いた。翌年三河の新城に城を築き,家康
26. おくだいらのぶまさ【奥平信昌】
国史大辞典
任えた。元亀元年(一五七〇)の近江姉川の戦には父とともに出陣している。天正三年(一五七五)の長篠の戦では、武田勝頼の大軍に包囲された三河の長篠城を固守して、織田
27. 織田信忠
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武将。信長の嫡子。幼名奇妙(きみょう)、菅九郎(かんくろう)を名のる。1572年(元亀3)北近江(おうみ)に初陣して浅井長政(ながまさ)
28. おだのぶただ【織田信忠】画像
国史大辞典
功を立てた。天正二年(一五七四)伊勢長島の一向一揆の討伐には東の市江口の大将を勤め、翌年には長篠の戦に参加して勝利を収め、その余勢をかって武田氏の属城である美濃
29. 織田信長
世界大百科事典
)ついに幕府を倒し,宿敵浅井・朝倉両氏を滅ぼし,翌年伊勢長島の一向一揆を鎮圧,75年には三河長篠の戦に武田勝頼の精鋭を破って鉄砲隊の威力を示し,また丹波・丹後の
30. おだ-のぶなが【織田信長】
日本人名大辞典
浅井・朝倉連合軍との姉川の戦いで勝利し,伊勢(いせ)長島の一向一揆(いっき)を鎮圧,武田軍との長篠の戦いにも勝利。4年近江(おうみ)に安土城をきずく。天下統一を
31. おだのぶなが【織田信長】
日本架空伝承人名事典
七三年(天正一)ついに幕府を倒し、宿敵浅井・朝倉両氏を滅ぼし、翌年伊勢長島の一向一揆を鎮圧、七五年には三河長篠の戦に武田勝頼の精鋭を破って鉄砲隊の威力を示し、ま
32. おばたはん【小幡藩】
国史大辞典
奥平氏は甘楽郡奥平郷の出身と伝え、戦国時代末、徳川家康に属して信昌の時三河国長篠城を預かり、長篠の戦に功をあげた。信昌は家康の女(加納殿)を室とし、次男家治、四
33. おばた-まさもり【小幡昌盛】
日本人名大辞典
小幡景憲(かげのり)の父。武田信玄・勝頼2代につかえ,旗本足軽大将衆となる。川中島,三方原,長篠の戦いなどに出陣。武田氏滅亡5日前の天正(てんしょう)10年3月
34. かいのくに【甲斐国】画像
国史大辞典
信玄堤は今も有名である。勝頼は父のあとをつぎ、織田・徳川両氏に対抗したが、天正三年(一五七五)長篠の戦に大敗して勢威を失墜、同十年三月天目山下に悲劇的滅亡を遂げ
35. かきひらむら【柿平村】愛知県:額田郡/額田町
日本歴史地名大系
村域内には片寄天恩寺末の華蔵院・無着庵・隣松庵・遊仙寺の四ヵ寺がある。ことに遊仙寺は甲斐国武田氏方の人質で長篠の戦の際に天正元年に鳳来寺で処刑された奥平仙千代の
36. かじまのしょう・かじま【加島庄・加島】静岡県:富士市
日本歴史地名大系
五貫文は彦大夫分)ほかを与えている。当地は天正二年までは武田氏の直接支配であったが、同三年の長篠の戦での敗戦以降、朝比奈信置に支配を任せていたようである。同九年
37. かたのはらし【形原氏】画像
国史大辞典
家広の代より徳川家康に従い、その子家忠は永禄七年(一五六四)小原資良を攻め、天正三年(一五七五)長篠の戦に功をあげ、子家信は同十二年小牧・長久手の戦に従軍し、同
38. 合戦
世界大百科事典
済戦にまで及ぶ近代的様相をおびるに至った。関 幸彦 近世 戦国末から近世初頭に起きた合戦も,長篠の戦が長篠城の攻防に始まり,大坂夏の陣で城側が城外で合戦を挑んだ
39. かっせんえ【合戦絵】
国史大辞典
』『平家物語』『太平記』『曾我物語』などに取材したものが多く、記録的なものでは、川中島の戦、長篠の戦、賤ヶ岳の戦、小牧・長久手の戦、関ヶ原の戦、大坂の陣、島原の
40. 甲子夜話三篇 5 54ページ
東洋文庫
されども信玄の代より天下に名を知られたる勇将剛士あまたありて、隣国より狸に手を出さざりし。天正三年長篠の戦には、織田殿三千人の銃手を立られ、東照神君には三百人の
41. 金森長近
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武将。通称五郎八、兵部大輔(ひょうぶたいふ)。土岐(とき)氏の支族大畑定近の子に生まれ、のち近江(おうみ)国(滋賀県)金森村に移り、氏を
42. かのうはん【加納藩】
国史大辞典
安藤信友・信尹・信成、永井直陳・尚備・直旧・尚佐・尚典・尚服。初代奥平信昌は天正三年(一五七五)長篠の戦に勇名をはせ、徳川家康の娘亀姫を妻に迎え、関ヶ原の戦のの
43. かみいしもりむら【上石森村】山梨県:山梨市
日本歴史地名大系
社)の神職をいうが、天正五年(一五七七)閏七月一八日に牛奥与三左衛門尉(昌茂)が与えられた、長篠の戦で戦死した兄兵部左衛門尉の本領石森内六〇貫文は(「武田家印判
44. かみひらいむら【上平井村】愛知県:新城市
日本歴史地名大系
村域の東北に極楽寺山があり、布目瓦が出土し古寺跡であることが知られ、かつ天正三年(一五七五)の長篠の戦で織田信長はここに本陣を置いた。東部のタイカに平井神社があ
45. かわかみひさくにざつわ【川上久国雑話】
国史大辞典
整理筆録して一巻となした。内容は多方面にわたるが、慶長の役関係・関ヶ原の戦前後のことを主とし、長篠の戦にもふれており、三分の一ほどは島津氏関係以外の記事を収録し
46. かんばやし-まさしげ【上林政重】
日本人名大辞典
1550−1600 織豊時代の武将,茶師。天文(てんぶん)19年生まれ。徳川家康につかえ,長篠の戦いで功をたてる。のち山城(京都府)宇治で兄久茂(ひさもち)とと
47. かんぼうざん【雁峯山】愛知県:新城市
日本歴史地名大系
東南の新城市側は急斜面をなし、作手村側は緩斜面で比高は少ない。新城市側からは屏風をめぐらしたように屹立し、長篠の戦で鳥居強右衛門勝商が長篠城を脱出して成功の合図
48. がもううじさと【蒲生氏郷】画像
国史大辞典
以後、天正元年(一五七三)近江鯰江合戦、越前朝倉攻め、近江小谷城攻め、同二年長島の合戦、同三年長篠の戦、同六年摂津伊丹城攻め、同九年伊賀国攻略、同十年信州攻略な
49. きだじょうあと【木田城跡】愛知県:東海市/木田村
日本歴史地名大系
立て、その子小太郎美作守善久は三方ヶ原の戦で討死した。小太郎の弟小作遠江守(「雑志」では外戚)は長篠の戦に一八歳で出陣。荒尾氏は信長滅亡後、池田勝入・輝政父子に
50. きんせい【近世】画像
国史大辞典
られる中世荘園支配体制の解消、安土城とその城下町の建設、堺・大津・草津など経済的要地の直轄、長篠の戦で威力をみせた足軽鉄砲隊の編成など、近世的政治権力の前駆とい