改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
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白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇五三-一一二九 一〇七二―八六在位。諱は貞仁。天喜元年(一〇五三)六月十九日、皇太子尊仁親王(後三条天皇)の第一王子として誕生。母は権中納言藤原公成の女、贈皇太后茂子である。茂子の養父で、関白藤原頼通の異母弟である春宮大夫能信の庇護のもとに成長し

後三条天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一〇三四-七三 一〇六八―七二在位。諱は尊仁(たかひと)。長元七年(一〇三四)七月十八日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第二王子として誕生。母は三条天皇の皇女禎子内親王(陽明門院)。同九年父親王の践祚後間もなく親王宣下をうけ

三条天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一〇一一―一六在位。貞元元年(九七六)正月三日、冷泉天皇の第二皇子として誕生。母は藤原兼家の女超子。諱は居貞。天元元年(九七八)十一月二十日、親王宣下。寛和二年(九八六)七月十六日、十一歳で兼家の南院第において元服。同日、立太子

花山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
九八四―八六在位。諱は師貞(もろさだ)。出家ののち入覚と号した。冷泉天皇の第一皇子、母は太政大臣(一条摂政)藤原伊尹の女の女御懐子。安和元年(九六八)十月二十六日誕生、同二年八月十三日立太子、永観二年(九八四)八月二十七日叔父円融天皇

村上天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし)。朱雀(すざく)天皇の同母弟。944年(天慶7)19歳で皇太子となり、946年禅を受け即位

醍醐天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八九七―九三〇在位。仁和元年(八八五)正月十八日、宇多天皇の第一皇子として誕生。母は内大臣藤原高藤娘贈皇太后胤子。諱は維城、のち敦仁。寛平元年(八八九)親王宣下、同五年立太子、同九年七月三日、十三歳で元服、同日宇多天皇の譲位で践祚

宇多天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八八七―九七在位 貞観九年(八六七)五月五日、光孝天皇の第七皇子として誕生。母は桓武天皇皇子仲野親王の女班子女王、諱は定省(さだみ)。元慶年間(八七七―八五)侍従となり王侍従と称された。同八年四月十三日

陽成天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
八七六―八四在位。貞観十年(八六八)十二月十六日、清和天皇の第一皇子として染殿院に誕生。母は藤原長良の女の女御高子。諱は貞明(さだあきら)。同十一年二月一日、清和天皇の皇太子となり、同十八年十一月二十九日

清和天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
八五八―七六在位。文徳天皇の第四皇子。母は藤原良房の女明子。諱は惟仁。嘉祥三年(八五〇)三月二十五日、良房の一条第で生まれ、同年十一月二十五日第一皇子で紀名虎の女の生んだ惟喬親王を越えて皇太子となり、天安二年(八五八)八月二十七日に

文徳天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第55代天皇(在位850~858)。仁明(にんみょう)天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣(ふゆつぐ)の娘順子(じゅんし)。諱(いみな)は道康(みちやす)。承和(じょうわ)の変(842)で皇太子恒貞(つねさだ)親王が廃されたので、かわって皇太子となり

仁明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八三三―五〇在位。弘仁元年(八一〇)、嵯峨天皇の第一皇子として誕生。母は橘清友の女嘉智子。諱は正良(まさら)。弘仁十四年四月、叔父にあたる淳和天皇の皇太子に立った。時に十四歳。天長十年(八三三)二月二十八日

淳和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八二三―三三在位。延暦五年(七八六)桓武天皇の第三皇子として生まれた。母は藤原百川の女、旅子。諱は大伴。弘仁元年(八一〇)九月の薬子の変のため、同月十三日に皇太子高岳親王が廃されたので同日中務卿から皇太弟となり、同十四年四月十六日嵯峨天皇

嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八〇九―二三在位。平安時代初期の天皇。諱は賀美能(神野)。桓武天皇と皇后藤原乙牟漏との間に、延暦五年(七八六)九月七日生まれ、三品中務卿を経て、大同元年(八〇六)五月十九日同母兄平城天皇の皇太弟となり、同四年四月一日受禅した

平城天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第51代とされる天皇(在位806~809)。名は安殿(あて)。桓武(かんむ)天皇の長子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に座して廃されたあと、皇太子となり、806年(大同1)即位

桓武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七八一―八〇六在位。天平九年(七三七)天智天皇の孫の白壁王(光仁天皇)の長子として誕生。母は高野新笠。諱は山部。乳母の山部子虫の姓氏によったと考えられる。天平宝字八年(七六四)十月、従五位下を授けられ、天平神護二年(七六六)十一月

光仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七七〇―七八一在位。和銅二年(七〇九)十月十三日、天智天皇の皇子施基(しき)親王の第六子として誕生。母は贈太政大臣紀諸人の女橡(とち)姫。諱は白壁。天平九年(七三七)九月無位より従四位下、同十八年四月従四位上、天平宝字元年(七五七)

淳仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七五八―六四在位。諱は大炊(おおい)。天武天皇の孫、舎人親王の第七子。母は当麻山背。天平五年(七三三)生まれる。藤原仲麻呂の男真従の未亡人粟田諸姉を娶って仲麻呂の田村第に住んだが、天平勝宝八歳(七五六)聖武上皇が崩ずると

聖武天皇(日本大百科全書(ニッポニカ)・改訂新版 世界大百科事典)
第45代とされる天皇(在位724~749)。名は首(おびと)、法号勝満(しょうまん)。文武(もんむ)天皇の第1皇子、母は藤原不比等(ふじわらのふひと)の女(むすめ)宮子(みやこ)。文武が崩じたとき幼少で即位できず、祖母元明(げんめい)

文武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六九七―七〇七在位。諱は軽(珂瑠)。諡は天之真宗豊祖父(あまのまむねとよおおじ)天皇。天武天皇の孫、草壁皇子の子。母は阿閇皇女(天智天皇の娘、のちの元明天皇)。天武天皇十二年(六八三)生まれる。持統天皇三年(六八九)、七歳のとき父を失う

天武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六七三―八六在位。父は舒明、母は皇極(斉明)天皇で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇皇后)の同母弟。幼名を大海人(おおしあま・おおあま)皇子といい、諡号を天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。『一代要記』などに

天智天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
六六一―六八称制、六八―七一在位。大化改新の中心人物。和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)。淡海(近江)大津宮天皇とも。推古天皇三十四年(六二六)の生。父は田村皇子(舒明天皇)、母は宝皇女(舒明皇后、皇極・斉明天皇)

舒明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六二九―四一在位。和風諡号は息長足日広額天皇。父は敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子。母はその異母妹糠手姫皇女、またの名は田村皇女で、天皇の諱田村はこれに因む。推古天皇三十六年(六二八)推古天皇の没後、田村皇子を推す大臣蘇我蝦夷は

崇峻天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によると五八七―九二在位。諱は泊瀬部、また長谷部若雀命という。欽明天皇の皇子、母は大臣蘇我稲目の娘小姉君。同母兄に穴穂部皇子、異母兄に敏達・用明天皇、異母姉に推古天皇らがいる。五八七年用明天皇の崩後、蘇我馬子と物部守屋が戦端を開くと

用明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六世紀末の天皇。『日本書紀』によれば五八五―八七年在位。異母兄敏達天皇の死去をうけて即位。橘豊日尊、大兄皇子と称す。父は欽明天皇、母は蘇我稲目の女、堅塩媛。異母妹の穴穂部間人皇女(母は堅塩媛の妹、小姉君)を妃として、厩戸・来目・殖栗・茨田の諸皇子を得た

欽明天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
記紀に第29代と伝える天皇。継体(けいたい)天皇と手白香(たしらか)皇后(仁賢(にんけん)天皇の女(むすめ))の嫡子。名は伝わらず、和風諡号(しごう)は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)という

継体天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によれば、生没年は四五〇―五三一、五〇七―三一在位。諱は男大迹(おおど)、袁本杼・乎富等とも書く。応神天皇の五世の孫と伝えられる。父の彦主人(ひこうし)王は近江国にいたが、越前坂井郡の三国にいた振媛を妃とし、継体天皇を生んだ

雄略天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』では第二十一代で、大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)天皇と表記し、『古事記』では大長谷若建命と表記する。允恭天皇第五子。母は忍坂大中姫命。兄の安康天皇が眉弱(まよわ)王に暗殺されると、王と王を保護した葛城円

垂仁天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』に第十一代と伝える天皇。活目入彦五十狭茅天皇・伊久米天皇などという。父は崇神天皇、母は大彦命の娘、皇后御間城姫。崇神天皇二十九年誕生、四十八年立太子、六十八年崇神天皇が亡くなると翌年纒向珠城宮に即位したという

崇神天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』などの皇室系譜では第十代の天皇。開化天皇の皇子。『日本書紀』によれば母は伊香色謎(いかがしこめ)命(『古事記』では伊迦賀色許売(いかがしこめ)命)と伝える。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇

神武天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』および『古事記』によれば、第一代の天皇で、皇室の祖先とされる。その名は、『日本書紀』神代、神皇承運章本文・同第一の一書によれば、神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)尊という。草葺不合(うがやふきあえず)尊の第四子で