1. ショパン画像
日本大百科全書
ポーランドに移り住んだフランス人、母ユスティナは没落貴族の出のポーランド人で、フレデリック・ショパンは長男としてワルシャワ近郊のジェラゾワ・ウォーラに生まれた。
2. ショパン(Fryderyk Franciszek (Frédéric François) Chopin)
世界大百科事典
脱し,自然なタッチで微妙な音色の変化を生命とするショパン独得の奏法を確立した。また三部形式から出発して,音楽的発想を作品として完成するための形式上の創造を始める
3. ショパン(Kate Chopin)
世界大百科事典
1851-1904 アメリカの作家。ミズーリ州セント・ルイスの生れ。夫の仕事でニューオーリンズに住む。夫の死後1888年ころから文筆活動を始め,ルイジアナ州のフ
4. ショパン
日本国語大辞典
(Fryderyk Franciszek Chopin フリデリク=フランツィシェク─)作曲家、ピアニスト。フランス人を父としてポーランドに出生。幼時からピアノ
5. ショパン(Chopin, Frédéric François)
世界人名大辞典
〔1810.3.1~49.10.17〕ポーランドの作曲家.父はフランス人,母はポーランド人.幼少より才能を発揮し,8歳で公開演奏会をする.ウィーンやドイツ各地を
6. ショパン(Chopin, Kate)
世界人名大辞典
〔1850.2.8~1904.8.22〕アメリカの作家.ミズーリ州セントルイス生まれ.父親は成功したビジネスマンでアイルランドからの移民,母方の祖母はフランス系
7. ショパン ケイト
世界文学大事典
して生まれた。母はフランス系。カトリックの学校で教育を受けた。1870年,棉花商人オスカー・ショパンと結婚し,ニューオーリンズに新居をかまえた。9年間に男5人女
8. ショパン国際ピアノ・コンクール
日本大百科全書
ショパンの生地に近いポーランドのワルシャワで5年に一度催されるコンクール。1927年に第1回が催され、その後第二次世界大戦による休止を挟みつつ続けられ、2000
9. ショパン・コンクール【2019】[音楽【2019】]
現代用語の基礎知識
正式にはショパン国際ピアノコンクール 。1927年からポーランドのワルシャワで開催されている、ピアノのみで、課題曲はショパンの曲のみなのが特徴。5年に一度の開催
10. ショパン像[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
ジェラゾワ・ウォーラにあるショパンの生家(ショパン博物館)の庭に建つ。ポーランド ワルシャワ近郊©Shogakukan
11. フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール[イミダス編 文化・スポーツ]
情報・知識 imidas
作曲家フレデリック・ショパンの命日である10月17日の前後3週間にわたり、5年に一度、ポーランドのワルシャワで開催されるピアノコンクール。課題曲はショパンのみ
12. マンガ作品の動向【2019】[マンガ【2019】]
現代用語の基礎知識
の人気を集めた。NHK連続テレビ小説『半分、青い。 』では、くらもちふさこ『いつもポケットにショパン 』など、実在の作品が時代を反映するアイテムとして登場。また
13. アイルランド(共和国)画像
日本大百科全書
できる。このほか各種社会保障制度が実施されている。上野 格文化1982年に、アイルランドではショパンに大きな影響を与えたノクターンの作曲家、ピアニストのジョン・
14. 悪魔の文化史 153ページ
文庫クセジュ
の女流作家。歴史の新しい担い手としての力強い民衆像を提示した。田園小説にも優れる。ミュッセ、ショパンとの恋愛でも知られる〔訳註〕。
15. アシュケナージ
日本大百科全書
1963年以来ロンドンを本拠として活躍している。モスクワ音楽院でオボーリンに学ぶ。1955年ショパン国際ピアノ・コンクールで第2位になったのを手始めに、1956
16. アシュケナージ(Ashkenazi, Vladimir Davidovich)
世界人名大辞典
〔1937.7.6~〕ソ連生まれのピアニスト,指揮者.6歳でピアノの学習を始め,2年後にモスクワでデビューするという早熟ぶりを見せた.モスクワ音楽院へ進み,オボ
17. アナーキズム 49ページ
文庫クセジュ
書き、また当時の文人名士とのひろい交友と恋愛によって、パリのはなばなしい存在となった。ミュッセ、ショパン、リストらとの恋愛はよく知られている。人道主義、民主主義
18. 雨だれの前奏曲
日本大百科全書
ショパンのピアノ曲。1839年に完成した『24の前奏曲』(作品28)の第15番変ニ長調。曲を通して反復される変イ音(中間部では異名同音の嬰(えい)ト音)が雨の滴
19. アメリカ文学
日本大百科全書
のフェミニズム、女性解放運動のなかで、それまで事実上忘れられていた南部ルイジアナ州のケイト・ショパンKate Chopin(1851―1904)が、アメリカを代
20. アラウ
日本大百科全書
勝後、世界各地で活発な演奏活動を行う。1965年(昭和40)初来日。初めシューマン、リスト、ショパンなどロマン派の作品を得意にしていたが、第二次世界大戦後はベー
21. ありが-かずこ【有賀和子】
日本人名大辞典
のち桐朋学園大教授。ピアノ指導者として知られ,岡本美智子,羽田健太郎,伊藤恵,岡田将らを育てる。日本ショパン協会理事,日本ピアノ教育連盟相談役をつとめる。東京出
22. アルカン(Alkan, Charles Valentin)
世界人名大辞典
〔1813.11.30~88.3.29〕フランスの作曲家,ピアニスト,オルガニスト.父や兄弟も音楽家.神童と呼ばれ,父からバイオリンの指導を受けたのち,6歳でパ
23. アルゲリッチ(アルヘリッチ)(Argerich, Martha)
世界人名大辞典
〔1941.6.5~〕アルゼンチンのピアニスト.生地ブエノスアイレスでスカラムッツァ(Vincenzo Scaramuzza 1885~1968)に学んだ後ヨー
24. アルヘリッチ
日本大百科全書
、ヨーロッパに渡り、グルダ、マガロフ、ミケランジェリに師事。1957年ジュネーブ、1965年ショパンの各国際コンクールに優勝して名をあげた。1970年(昭和45
25. イタリア・オペラ 135ページ
文庫クセジュ
ぎない。ヴェルディの言葉を借りるならば、ベッリーニの「長い、長い、長い」旋律を書く術に対してショパンやワグナーらが上げた感嘆の声は、しかし、音楽のそれぞれのナン
26. イタリア音楽史 236ページ
文庫クセジュ
Sonnambula》(1831),《Beatrice di Tenda》(1833)などのオペラを残し,ショパンやヴァーグナーにもその旋律の高貴さが称讃された
27. イワシキエヴィチ ヤロスワフ
世界文学大事典
知識人の運命を描いた大河小説『栄光と称賛』Sława i chwała(3巻,56−62)。ショパンの生涯に題材を取った『ノアンの夏』Lato w Nohant
28. 牛田智大[コンクール5年連続1位の12歳の天才ピアニストがCDデビュー]
情報・知識 imidas
から1位に選ばれた。国際レベルの優れた演奏家の発掘・育成を目的とした若手ピアニストの登竜門「ショパン国際ピアノコンクール in ASIA」では、8歳から各部門に
29. 内田光子[「デイム」の称号を授与されるピアニスト]
情報・知識 imidas
共にウィーンに移り住み、21歳まで同地で学んだ。69年ベートーベン・コンクール第1位、70年ショパン国際ピアノコンクールでは歴代日本人最高の第2位、75年リーズ
30. 内田光子[第53回グラミー賞で最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞を受賞]
情報・知識 imidas
12歳でウィーンに移り住み、ウィーン国立音楽大学で学ぶ。69年ベートーベン・コンクール第1位、70年ショパン国際ピアノコンクールでは日本人歴代最高となる第2位、
31. うちだ-みつこ【内田光子】
日本人名大辞典
)で松岡貞子に学ぶ。昭和36年外交官の父に同行して渡欧,ウィーンでハウザーに師事。昭和45年ショパン国際ピアノコンクールで2位入賞。モーツァルトのピアノ-ソナタ
32. エチュード
日本国語大辞典
ピアノのエチュードが聞えていようという趣向」*あじさいの歌〔1958~59〕〈石坂洋次郎〉捻挫「曲はショパンの練習曲(エチュウト)のどれからしかったが」(4)演
33. エラール(Érard, Sébastien)
世界人名大辞典
〔1752.4.5~1831.8.5〕フランスの楽器製作者.ダブル・アクション・ハープを発明し[1811],これはL.H.ベルリオーズの作品に取り入れられた.ま
34. エリザベート王妃国際音楽コンクール[イミダス編 文化・スポーツ]
情報・知識 imidas
ベルギーの首都ブリュッセルで毎年開かれている世界的音楽コンクール。若手音楽家の登竜門とされ、フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール、チャイコフスキー国際コン
35. エルツ(Herz, Henri)
世界人名大辞典
〔1803.1.6~88.1.5〕フランスの作曲家,ピアニスト.ウィーンに生まれ,コブレンツのヒュントン(Daniel Hünten 1760~1823)のもと
36. オボーリン
日本大百科全書
ソ連のピアノ奏者。1927年第1回ショパン国際コンクールで優勝、ソ連の代表的新鋭と目された。38年からダビッド・オイストラフと組んで二重奏を、41年からさらにス
37. 音楽画像
世界大百科事典
いわゆるロマン派は,個人的感情の表現を重視し,F.シューベルト以来のドイツ歌曲,シューベルト,R.シューマン,ショパンなどに見られる抒情的オペラやR.ワーグナー
38. 音楽コンクール
日本大百科全書
ール。スイスのモントルー・ブベー音楽祭のなかで開催)・ショパン国際ピアノ・コンクール(1927年から5年ごとにワルシャワで開催。ショパンの作品のみによる)・ブザ
39. 音楽コンクール
世界大百科事典
国際音楽コンクール,ショパン国際ピアノ・コンクール(ポーランド,1927創設)などが群を抜いている。成沢 玲子 concours 作曲コンクール 演奏コンクール
40. 改訂新版 音楽の形式 56ページ
文庫クセジュ
完全な意味でのエテュード〔練習曲〕は、音楽そのものと名人芸とにほぼ等しくかかわるべきものであり、ショパンの場合がそうである。エテュードの起源はかなり昔にさかのぼ
41. 改訂新版 音楽の形式 86ページ
文庫クセジュ
その構造はきまったものではないが、多くの場合ABAという図式に従っている。即興曲は、とりわけシューベルト、ショパン、フォーレなどの十九世紀ピアノ音楽において、非
42. 改訂新版 音楽の形式 125ページ
文庫クセジュ
その名が示すとおり、フーガや舞踊組曲など他のいくつかの曲の導入部たる機能をもつ。しかしながら、ショパンやドビュッシーのような作曲家たちは、それだけでじゅうぶんに
43. 改訂新版 音楽の形式 126ページ
文庫クセジュ
きわめつくしたと言いたくなるだろう。だがこの更新は、なによりも様式面で行なわれる。たとえば、ショパンやドビュッシーのプレリュードは、表現のうえでは驚嘆すべきもの
44. 改訂新版 音楽の形式 141ページ
文庫クセジュ
そして、非舞踊的であるといういっそう近代的な性格およびリズムの面で、メヌエットとは異なっている。ショパンはスケルツォを独立した作品として扱う。右に述べた二つの側
45. 改訳 音楽の歴史 3ページ
文庫クセジュ
ベートーヴェン ―― シューベルト ―― ヴェーバー ―― シューマン ―― メンデルスゾーン ―― ショパン ―― ベルリオーズ ―― リスト ―― 叙情劇の
46. 改訳 音楽の歴史 110ページ
文庫クセジュ
創刊し、そこでアカデミックな精神、一般の悪趣味、音楽家や公衆の因習に対して戦いを起こした。彼はショパンの天才の出現にあたり、これをまっさきに認め、これに敬礼した
47. 改訳 音楽の歴史 114ページ
文庫クセジュ
ショパン ショパン(一八一〇 ― 四九)の芸術は孤立した現象である。彼の場合、前駆者も指摘できなければ、後継者も見いだせない。ショパンを模倣すれば必ず腰骨を折
48. 改訳 音楽の歴史 115ページ
文庫クセジュ
ジョルジュ・サンドははじめ、その《病身の愛人》のそばで半分は母親のような役割をつとめていた。そのころからすでにショパンは結核に冒されており、けっきょくこれで死ん
49. 改訳 音楽の歴史 116ページ
文庫クセジュ
ショパンはもっぱらピアノのために作曲した。彼はピアニストとして考え、かつ創作している。そうして彼の手によってはじめて生きてくるような音の組合せを、ピアノから引
50. 改訳 音楽の歴史 117ページ
文庫クセジュ
ベルリオーズ ショパンと同じく、ベルリオーズも孤立しており、音楽史上の特殊な一例である。ショパンはピアノ音楽に多くの特異な魅惑をもたらした。ベルリオーズの革新