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建武以来追加(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
室町幕府の追加法を編纂した法令集。室町幕府は鎌倉幕府に次いで『御成敗式目』を基本法とし、必要に応じて追加を発布した。『建武以来追加』は、建武年間(一三三四―三八)以来の室町幕府の追加集の意であり、『建武式目』に対する追加を意味するものではない。最古の
元寇(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代のなかば、1274年(文永11)と1281年(弘安4)の2回にわたり行われた蒙古(もうこ)(元)の日本侵略。文永の役(ぶんえいのえき)・弘安の役(こうあんのえき)、蒙古襲来ともいい、当時は蒙古合戦、異国合戦と称し、元寇の語は近世以後定着した。
承久の乱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
承久三年(一二二一)後鳥羽上皇とその近臣たちが鎌倉幕府を討滅せんとして挙兵、逆に大敗、鎮圧された事件。大義名分論、順逆論の立場からは「承久の変」ともいい、第二次世界大戦中はほとんど「変」に統一されたが、中世以来、乱・合戦などと称する方がむしろ一般的で
治承・寿永の乱(国史大辞典)
治承四年(一一八〇)に始まり、約十年間にわたり全国的に展開された戦乱。平清盛を中心とする平家一門の武断的独裁政治に対する旧貴族・寺院・地方武士など諸勢力の反撥をきっかけに勃発し、源頼朝の武力による戦乱の終熄に至るという経過をたどったため、表面上は源平
平治の乱(世界大百科事典・日本国語大辞典)
1159年(平治1)に起こった内乱。保元の乱に勝った後白河天皇は1158年(保元3)に退位して院政をはじめるが,その間に院近臣や武士のあいだに権力争いがはげしくなっていた。院権臣の信西(藤原通憲)と藤原信頼とは互いに権勢を競って対抗し,とくに信西が信
保元の乱(世界大百科事典・日本国語大辞典)
1156年(保元1)に起こった京都の争乱。〈ほげんのらん〉ともいう。皇室・摂関家内の勢力争いに源平2氏の武力が介入して勃発した。白河院政開始(1086)後,朝廷には〈治天の君(ちてんのきみ)〉=院と天皇と二つの権力が競合併存することとなり,それにとも
詠歌大概(歌論集)(日本古典文学全集)
歌の内容は、なにより新鮮な詩情をとらえようとすべきであり〔人がまだとらえたことのない、新しい着想を求めて詠むべきである〕、表現にあたっては古歌の歌詞を用いるべきである〔歌詞として用いる語句は、三代集における優れた歌人の用いたもの以外に出てはならない。『新古今集』に入集している
満州国(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本が満州事変によってつくりあげた傀儡(かいらい)国家。1932年(昭和7)から1945年まで、中国東北地方と内モンゴルをおもな領域として存立した。[君島和彦]▲前史満州とは現在の中国東北3省(遼寧(りょうねい)、吉林(きつりん)、黒竜江
卒業(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(1)一つの事業を完了すること。*授業編〔1783〕一〇「かほどの編集かりそめに卒業(ソツゲウ)あるべきに非ず」*俳諧・五車反古〔1783〕序「明日を待て稿を脱せむ。維こま、終(つひ)に卒業の期なきを悟て、竊(ひそか)に草稿を奪ひ去」
壇ノ浦の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1185年(文治1)下関(しものせき)市東方の壇之浦で行われた源平最後の海戦。この年2月屋島(やしま)の戦いに敗れた平氏の総帥宗盛(むねもり)らは、長門彦島(ながとひこしま)(下関市)に拠(よ)る平知盛(とももり)の軍と合体、九州の源範頼(のりより)
東京大空襲(日本大百科全書)
1945年(昭和20)3月10日未明の東京下町(したまち)地区に対する爆撃を中心とする、アメリカ軍の大量無差別の航空爆撃作戦。沖縄戦や広島・長崎への原爆投下と並ぶ太平洋戦争中の日本における大戦災となった。米軍機の日本空襲は開戦翌年の1942年4月の
台湾(世界大百科事典)
中国東南部の福建省の対岸に幅150~200kmの台湾海峡を東にへだてて,位置する島。総称としての台湾は,台湾本島と21の付属島嶼(とうしよ)および澎湖諸島の64の島々を合計した86の島からなる。付属島嶼を含めて面積3万6008km2。これは,福建省の
ウクライナ(世界大百科事典)
正式名称=ウクライナUkraina/Ukraine面積=60万3500km2人口(2010)=4596万人首都=キエフKiev(日本との時差=-7時間)主要言語=ウクライナ語(公用語),ロシア語通貨=フリブナHryvna(1996年8月まではカルボバネッツKarbovanets)ソ連邦を構成する共和国の一つであった
承平・天慶の乱(国史大辞典・日本大百科全書)
平安時代の承平・天慶年間(九三一―四七)、関東・瀬戸内海でおこった平将門・藤原純友の反乱の総称。天慶の乱ともいう。〔平将門の乱〕関東地方では、九世紀中葉以降、国司として下向した中央貴族が、在地の郡司などの豪族と婚姻関係を結び、土着して勢力をふるう傾向
平将門(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-九四〇平安時代中期の武者。桓武平氏高望の孫。父は良持。系図には父を良将、母を犬養春枝の女とするものがあり、その生年を延喜三年(九〇三)と伝えるものもある。将門は下総北部の豊田・猿島地方(茨城県西部)を地盤としており、若いころに藤原忠平に仕えたが
藤原基経(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安前期の官僚。藤原長良(ながら)(良房(よしふさ)の兄)の第3子で、母は藤原乙春(おとはる)。藤原良房の養子となり、養父を継いで氏長者(うじのちょうじゃ)となり、いわゆる藤原摂関家隆盛の基礎をつくりあげた。851年(仁寿1)に16歳で文徳
応天門の変(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代前期、応天門の炎上をめぐって起きた政治的疑獄事件。貞観八年(八六六)閏三月十日の夜、朝堂院の正門、応天門が焼失した。はじめ左大臣源信(みなもとのまこと)に放火の嫌疑がかけられたが、八月三日に至り、左京の人、備中権史生の大宅鷹取が、大納言
藤原京(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
古代宮都の一つ。持統天皇八年(六九四)から和銅三年(七一〇)まで、十六年間にわたり営まれた持統・文武・元明三代の宮都。遺跡は奈良県橿原市(高殿町ほか)にある。それまでの宮室が、天皇一代限りのものであったのに対し、藤原宮に至り、計画的で整然たる都市を
壬申の乱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天智天皇の死の翌年の六七二年に起った皇位継承をめぐる大規模な内乱。壬申の年にあたるので壬申の乱という。なお、『日本書紀』は弘文天皇(大友皇子)の即位を認めず、この年を天武天皇元年とする。乱の直接の原因は皇位継承の争いである。天智天皇は、大化改新を断行
倭の五王(日本大百科全書・世界大百科事典)
中国史料にその名が伝えられた5世紀の5人の倭国王。『宋書(そうじょ)』と『南史』では讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)、『梁書(りょうしょ)』では賛・彌・済・興・武と記す。しかし、讃と賛は音通、珍と彌も一見文字の違いは大きいが
ヒトラー(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
ドイツの政治家。第三帝国の総統兼首相、ナチスの指導者。[村瀬興雄]▲青壮年期オーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として4月20日ブラウナウ(現オーストリア)に生まれる。若くして両親を失い、ウィーンで画家になろうとして失敗し、同市の公営施設を定宿と
応仁記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
応仁・文明の乱を題材とした室町時代の戦記文学。著者は明らかでないが、成立の時期は応仁・文明の乱の直後、それも文明五年(一四七三)からさほど時間を経ないころの作と考えられる。内容は三巻からなっているが、各巻とも何々事という見出しを付したいくつかの話に
文官分限令・文官懲戒令(日本大百科全書)
1899年(明治32)3月に第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣の手で公布された、一般文官の身分および職分の保障に関する規定と、懲戒に関する規定。前者では、官吏の身分保障、免官、休職、降任、休職中の俸給、復職などについての原則が規定され、官吏の身分
近世説美少年録(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書)
大将であった菊池武政の嫡子肥後守武朝の残党の、菊池肥後太郎武俊と呼ばれる者が、亡くなった武朝に縁のある者を集めて、肥後国阿蘇郡の阿蘇山の古城に立て籠り、近郷や隣郡を襲撃して、もっぱら猛威を振るう実情を、九州の守護大伴親春・太宰少弐らが上京させた急使が
菅原道真(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の律令(りつりょう)官人。政治家、文人、学者として名が高い。是善(これよし)の子で母は伴(とも)氏。本名は三、幼名を阿呼(あこ)といい、後世菅公(かんこう)と尊称された。従(じゅ)二位右大臣に至る。承和(じょうわ)12年6月25日、父祖三代の
二・二六事件(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
陸軍皇道派青年将校によるクーデター事件。1936年(昭和11)2月26日早暁、歩兵第一・第三連隊、近衛(このえ)歩兵第三連隊など約1500人の在京部隊が、首相・蔵相官邸、警視庁はじめ、政府首脳や重臣の官・私邸、朝日新聞社などを襲撃した。指揮にあたった
鶴岡八幡宮(国史大辞典・日本歴史地名大系)
神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。源氏の氏神であり、鎌倉の町の中心として存在してきた社で、明治の神仏分離までは鶴岡八幡新宮若宮(いまみやわかみや)・鶴岡八幡宮寺とも称した。大分県の宇佐、京都府の石清水(いわしみず)両宮とともに全国の八幡宮を代表
藤原秀衡(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
古代末期東北の武将。清衡(きよひら)の孫、基衡(もとひら)の子。鎮守府将軍。陸奥守(むつのかみ)に任ぜられて、平泉(ひらいずみ)政権を北方の独立王国の地位に高めるとともに、平氏、源氏と並ぶ第三の政治勢力として評価されるまで権威あるものにした
アレクサンドロス(日本大百科全書・岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
マケドニア王(在位前336~前323)。「大王」(マグヌスMagnus)とよばれたのは、ローマ共和政末期の軍人や政治家が彼らの業績の大きさをアレクサンドロスのそれに対比させたことに始まる。父はフィリッポス2世、母はマケドニアの西エペイロスの王族の娘
古代オリエント文明(日本大百科全書)
紀元前3200年ごろから紀元前4世紀後半のアレクサンドロス大王による統一まで、およそ3000年間、西アジア、エジプトに栄えた世界最古の文明。[高橋正男]▲古代オリエント学の誕生現在のイラン、イラク、シリア、トルコ、レバノン、ヨルダン、イスラエル
伴天連追放令(世界大百科事典)
キリシタン宣教師の国外追放を規定した法令のこと。(1)1587年(天正15)豊臣秀吉が九州平定後,筑前筥崎(はこざき)で発令した6月19日付け〈定〉5ヵ条。要旨は,日本は神国・仏教国であり,邪法キリスト教が説かれることは不適当であるから,宣教師は
大友宗麟(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五三〇-八七戦国時代の武将。豊後・筑後・肥後・筑前・豊前・肥前六ヵ国守護。享禄三年(一五三〇)生まる。大友氏二十代義鑑の長子。幼名塩法師丸、のち五郎また新太郎。左衛門督、従四位下。諱は義鎮(よししげ)。入道宗麟・円斎・三非斎。キリスト教名
江華島事件(国史大辞典・世界大百科事典)
明治八年(一八七五)九月二十日、日本軍艦雲揚号が朝鮮国江華島付近に侵入し、同島砲台と交戦して、砲台を破壊し、永宗島を占領した事件。雲揚号事件ともいう。明治初年以来、朝鮮が日本の国書を従来の形式と相違することを理由に受理しなかったため、国交回復は懸案と
岩倉使節団(日本大百科全書・世界大百科事典)
1871年(明治4)11月から1873年9月にかけて、約1年10か月、米欧12か国を歴訪した、出発時46名よりなる使節団。特命全権大使は右大臣岩倉具視(いわくらともみ)で、副使は参議木戸孝允(きどたかよし)、大蔵卿(おおくらきょう)大久保利通
古事記伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古事記』の注釈書。著者、本居宣長。四十四巻、附巻一。出版開始、寛政二年(一七九〇)、完了、文政五年(一八二二)。本居宣長は賀茂真淵に面会(宝暦十三年(一七六三))したのち、『古事記』を解読、注釈することの意志をかため、真淵に入門し、『万葉集』の訓読
飛鳥美術(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本に仏教が伝来した6世紀の中ごろから、645年の大化改新までの約1世紀間にわたり、大和(やまと)(奈良県)の飛鳥地方に開花した美術。百済(くだら)の聖明王が仏像、経典などをわが朝廷に献じたのが538年(宣化(せんか)天皇3)あるいは552年(欽明
寺院建築(国史大辞典・世界大百科事典)
仏教寺院に属する建築。ただし寺院内にあっても、鎮守とその付属建物は神社建築として扱い、書院・客殿などの居住用建物は住宅史で取り上げている。しかし、居住用建物でも、僧房・庫裏など仏教寺院独特のものは含む。仏教は六世紀の中ごろ伝来し、大陸の建築様式を伝え
神社建築(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
神社の社殿およびその付属建築。古代人は、神霊のよる神聖な場所を神籬(ひもろぎ)として崇(あが)め、また祖先の霊を祀(まつ)るために、伝来の宝物を御霊代(みたましろ)として崇めた。したがって、神籬のある場所、御霊代を祀る場所が、その神の社地として定着し
仏教建築(日本大百科全書)
仏教に関する祭祀(さいし)、信仰、布教などのために建てられた建築。紀元前5~前4世紀の仏教勃興(ぼっこう)当初は、礼拝(らいはい)対象とする仏像も、それを納める仏堂もなかった。宗教施設としての構築物がみられるのはブッダ(仏陀)の没後(前486ないし
ライチョウ(日本大百科全書・世界大百科事典)
広義には鳥綱キジ目キジ科ライチョウ亜科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの一種をさす。この亜科Tetraoninaeは7属16種からなる。短く頑丈な嘴(くちばし)と、先が丸い短い翼をもつ。尾は長くない。キジ目のほかの鳥とは、とくに足に違いがあり
とりべ野(栄花物語)(日本古典文学全集)
〔一〕こうして八月ごろになると、皇后宮(定子)は、ただなんとなく心細いお気持になられて、明け暮れ御涙に濡れて、おいたわしいご様子でお過しになる。荻の葉を鳴らす風も萩の下枝に置く露もいちだんと御心にとまるような御有様でお過しあそばすにつけても
あて宮(うつほ物語)(日本古典文学全集)
〔一〕さて、あて宮が東宮に入内なさることは、十月五日と決定した。求婚なさっていた人々は、これを聞いてうろたえなさることこのうえない。そのなかにも、源宰相と御兄の侍従は、すっかり落胆して、ただもう死にそうだと心を惑わしいらだって
日中戦争(世界大百科事典)
1937年(昭和12)から45年までおもに中国大陸で戦われた日本と中国との全面戦争で,太平洋戦争が起こるとその一環となった。その結果,明治以来の日本の植民地帝国が崩壊したばかりでなく,東アジアの情勢も大きな変革をとげた。前史日本は1931年以来武力に
阪神・淡路大震災(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1995年(平成7)1月17日午前5時46分、兵庫県を中心として阪神地方に甚大な被害を与えたマグニチュード7.3(2001年精査前はマグニチュード7.2)の巨大地震災害の一般的な呼称(災害名。政府の発表による)。地震の名称は兵庫県南部地震である
(新選漢和辞典・日本国語大辞典)
①〈つつし・む〉うやまう。「寅畏(いんい)」②寅車(いんしゃ)は、兵車の名。③〈とら〉十二支の第三位。(ア)時刻では、午前四時ごろ。また、午前三時から五時。(イ)方角では、東北東。(ウ)動物では、虎(とら)。(エ)陰暦正月。
梶原景時(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一二〇〇 鎌倉時代前期の武将。相模国住人五郎景清の子。通称平三。源頼朝挙兵の時、大庭景親に属したが、石橋山にいき、頼朝の危急を救い、のち頼朝に従って、源義仲追討をはじめ、平家追討に功があった。文治元年(一一八五)屋島攻撃の際、源義経と逆櫓の策を争い
源義仲(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一五四-八四 平安時代後期の武将。木曾義仲・木曾冠者・旭将軍と称される。久寿元年(一一五四)に生まれる。父は春宮帯刀長源義賢、母は遊女と伝える。寿永二年(一一八三)の入洛以前は根本資料を欠き、延慶本・盛衰記・長門本など語り系の『平家物語』によらざるを
源頼家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一一八二-一二〇四 鎌倉幕府の第二代将軍。一二〇二―〇三在職。源頼朝の長男。母は北条政子。寿永元年(一一八二)鎌倉の比企能員邸に生まれる。幼名は万寿(または十万)。能員妻・河越重頼妻(能員の妹)・梶原景時妻らが乳母となる。頼家の安産を祈って源頼朝は
北条義時(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一六三-一二二四 鎌倉時代前期の第二代執権(一二〇五―二四)。相模守・陸奥守・右京権大夫を歴任、また駿河・伊豆・若狭・越後・大隅・信濃の守護となる。長寛元年(一一六三)北条時政の第二子として生まれる。母は伊東入道女。幼名は江馬四郎・江馬小四郎
日本神話の神々(日本大百科全書)
吉田敦彦編見出し項目は、主として『古事記』の表記としたが、『日本書紀』『風土記(ふどき)』などにのみ記載されている神名はその表記とした。『古事記』の略号を記、『日本書紀』の略号を紀とした。見出し項目の下に、【紀】として『日本書紀』の表記と、読みが
天之御中主神(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
『古事記』の神々のなかで最初に出現した神。別天神(ことあまつかみ)のことである。高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)とともに造化の三神ともいわれ、天の中心にあって天空を主宰している神の意。しかし、『延喜式』神名帳には
徳川実紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
初代家康(いえやす)以来10代家治(いえはる)に至る徳川将軍の実録。本編には編年体で歴代将軍の政治的業績を収録し、付録にはその嘉言(かげん)・善行を集め記す。本名は『御実紀』で、『徳川実紀』は俗称。「東照宮(家康)御実紀」のほかは歴代ごとに諡
読史余論(日本大百科全書・世界大百科事典)
新井白石(あらいはくせき)の著した史論書で、1712年(正徳2)における将軍徳川家宣(いえのぶ)への進講案。摂関(せっかん)政治から徳川家康の政権獲得に至る(実際は豊臣(とよとみ)秀吉の事業)までの政治史で、文徳(もんとく)天皇の世から建武中興
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