不連続な部分が残された堤防で、おもに雁行(がんこう)に設置され、部分的に二重・三重に堤防が重なった配置となる。堤防の重なりがある場合、本川に沿った堤防を一番堤、そこから川から離れる方向に二番堤(二線堤)、三番堤(三線堤)となる。二番堤、三番堤は、あわせて控堤(ひかえてい)とも称する。霞堤の不連続部と二重の堤防に囲まれた低地を堤内遊水地(ていないゆうすいち)という。また、堤防が丘陵地に接して、山付きになる所や、河川の合流部にも不連続な部分が残されることが多く、これらも霞堤として分類される場合がある。
霞堤には不連続部分があるため、①洪水時に外水(河川を流れ下る水)を一時的に貯留する機能、②洪水時に内水(河川に流れ込もうとする水)を排除する機能、③氾濫(はんらん)水を河川に還元する機能がある。盆地などの氾濫平野を流下する緩勾配(こうばい)の河川では、①の外水を一時的に貯留する機能が卓越する。扇状地などを流下する急勾配の河川では、②の内水を排除する機能と③の氾濫水を河川に還元する機能が卓越する。ただし、これらの機能は相対的なもので、雨の降り方や堤の配置、外水と内水とのバランスなどで決まる。
洪水時には魚類などが本川の激流を避けるため、霞堤の不連続部分から堤内地の水田などに一時的に避難する姿がみられる。また、霞堤の不連続部分には多くの場合、内水を排除するための小河川・水路が流れ込んでおり、堤内外が流水で接続されている。そのため、流水性の魚類が堤内外を行き来することができ、生態系ネットワークをつなぐ重要な役割を果たしている。
霞堤の名前の由来は、「堤防が折れ重なり霞がたなびくように見える」ようすから名づけられたとされる。また、霞堤の歴史は古く、戦国時代の武田信玄(しんげん)が考案したとされているが、「霞堤」ということばが使われるようになったのは明治以降である。1680年(延宝8)ころに執筆されたと推定される『百姓伝記』には「二重堤」という表現がある。本来の「霞堤」は、扇状地を流下する急流河川で、内水を排除する機能、氾濫水を河川に還元する機能をもつものをさしていた。しかし昭和初期には、洪水時に外水を一時的に貯留する機能が卓越する、氾濫平野を流下する緩流河川の不連続堤防も含めて「霞堤」と称されるようになった。
河川整備に伴って連続堤防化が進み、霞堤は徐々に姿を消しているものの、都市郊外の河川にはいまでも数多くみることができる。