「歴史」カテゴリの記事一覧
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「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
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征夷大将軍(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
もとは陸奥の蝦夷(これを「夷」といい、日本海側のそれを「狄」と称した)征討のために、朝廷が臨時に派遣する軍隊の総指揮官を意味したが、のちには幕府首長の職名となった。唐名に因んで大樹あるいは大樹将軍とも称す。古代の征夷大将軍は同大使ともいわれ

江戸幕府(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
徳川氏の全国統治の覇府で、慶長八年(一六〇三)家康の征夷大将軍補任に始まり、慶応三年(一八六七)慶喜の大政奉還に至るまで二百六十五年間続き、この間将軍の歴世十五代を数えた。武家政治史上、最も高度に組織された強大な統一政権である。〔成立〕家康の覇権掌握

鎖国(国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
〔意義〕「鎖国」という言葉は、長崎のオランダ通詞中の逸材志筑忠雄(しづきただお)が、出島商館に在勤したことのあるドイツ人医師エンゲルベルト=ケンペルEngelbertKaempferの大著『日本誌』の蘭訳本付録の「現在のように日本帝国を鎖して、国民に

源博雅(国史大辞典・日本大百科全書)
九一八-八〇平安時代中期の雅楽家。『博雅笛譜』(正称、『新撰楽譜』。異称、『長竹譜』)の撰者。延喜十八年(九一八)生まれる(一説に延喜十九年)。父は醍醐天皇第一皇子克明親王の長男。母は藤原時平末女。承平四年(九三四)正月七日従四位下に叙せられ

紀伊国屋文左衛門(国史大辞典・世界大百科事典)
?-一七三四江戸時代中期の江戸の豪商。略して紀文ともいう。その伝記は詳らかでないが、没年六十六歳といわれるので、寛文九年(一六六九)の生まれか。現在の和歌山県有田郡湯浅町別所の生まれと推定され、はじめ紀州のみかんを江戸に廻漕し、江戸から塩鮭を上方にも

清水寺縁起(国史大辞典・日本大百科全書)
京都の清水寺の縁起で、同名の書が二種ある。その一は藤原明衡の作で一巻、康平七年(一〇六四)以後の成立と推定されるもの。宝亀九年(七七八)延鎮が山城国愛宕郡八坂郷東山の麓で観音を念ずる修行者行叡に逢って霊異を感得し、坂上田村麻呂と協力して延暦十七年

国定忠次(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸後期の博徒。忠次(治)郎ともいう。上野国佐位郡国定村の出身。中農以上に属する長岡与五左衛門の長男。二一歳のとき博徒の縄張を譲られて以来博徒の親分となり、一八三四年(天保五)縄張争いから同じ博徒の島村の伊三郎を殺害し、有名となる。四二年賭場の最中に

渓嵐拾葉集(国史大辞典・世界大百科事典)
叡山の光宗が応長元年(一三一一)から貞和四年(一三四八)にかけて叡山天台の行事・作法や口伝法門などを集録したもの。もと三百巻あったと伝えるが、現在は百十三巻。顕部・密部・戒部・記録部・医療部・雑記部の六部からなり、当時の天台の顕・密・禅・戒に関する

三宝絵詞(東洋文庫・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
平安中期,出家した尊子内親王に源為憲が献じた仏教入門書。表題には「絵」とあるが,絵は失われて詞書だけがのこる。本生譚,経典の功徳,仏教・年中行事などを内容とする。1990年01月刊

サンフランシスコ講和条約(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
太平洋戦争開始以来の戦争状態を終結させるために、日本政府が英米をはじめとする四十八ヵ国と締結した講和条約。公式名は「日本国との平和条約」。「対日平和条約」とも呼ばれている。締結の相手国は、アルゼンチン・オーストラリア・ベルギー・ボリビア・ブラジル

大森貝塚(日本大百科全書・世界大百科事典・日本歴史地名大系)
アメリカの動物学者エドワード・S・モースが1877年(明治10)6月、横浜から東京・新橋(しんばし)へ向かう汽車の車窓から発見した貝塚。東京都品川区大井6丁目、東海道本線の線路ぎわに「大森貝塚」の碑がある。また大田区山王1丁目地内に「大森貝墟(きょ)

乃木希典(日本大百科全書・世界大百科事典)
陸軍大将。嘉永(かえい)2年11月11日、長州藩士族乃木希次(まれつぐ)の三男として江戸藩邸に生まれる。萩(はぎ)(山口県萩市)の明倫館(めいりんかん)に学び、報国隊に属し、戊辰戦争(ぼしんせんそう)では東北を転戦。維新後、フランス式軍事教育を受け

日独伊三国同盟(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1940年(昭和15)9月27日、ベルリンで調印された日本、ドイツ、イタリアの間の軍事同盟。三国同盟締結交渉は、最初、1937年に結ばれた日独伊三国防共協定を強化しようという目的で、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の末期に始まったが、1939年

執権政治(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
鎌倉時代、北条氏が執権の地位によって、幕府の実権を掌握した政治。鎌倉殿(将軍)独裁制や得宗専制とは違って、執権政治は合議を特色とするとされる。「執権政治」の用語をはじめて用いたのは、大正十年(一九二一)、竜粛(りょうすすむ)の「尼将軍政子」

寛政の改革(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代後期の幕政改革。老中松平定信の主導により天明七年(一七八七)から寛政五年(一七九三)まで、六年間にわたり断行された。享保・天保の改革と並び三大改革の一つに挙げられる。寛政の改革の前代は、老中田沼意次による政治が展開した。しかし田沼政治も末期を

ウィーン会議(日本大百科全書・世界大百科事典)
ナポレオン戦争の戦後処理を行った国際会議。ナポレオン退位から5か月後の1814年9月に始まり、15年6月9日の最終議定書調印によって終わった。この会議にはほとんどヨーロッパ中の君主や統治者が参集したが、実際にはオーストリア、プロイセン、ロシア

天保の改革(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代後期の天保年間(一八三〇―四四)に、幕府や諸藩で行われた政治改革の総称。幕府の天保の改革に関する研究は、明治二十年(一八八七)―三十年代から始まる。それは明治二十八年・二十九年に出版された福地桜痴『水野閣老』そのほかに代表されるが、改革を担当

アヘン戦争(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
中国へのアヘン密輸入問題から発展したイギリスの中国に対する最初の侵略戦争(一八四〇年(道光二十)―四二年)。鴉片戦争・阿片戦争とも書く。一六八五年清朝がイギリス・オランダなどのヨーロッパ諸国の通商を許可して以来、茶・生糸・磁器などの輸出によって中国へ

南京条約(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
アヘン戦争の結果、イギリスと中国との間で締結された条約。一八四二年八月二十九日南京でイギリス全権ヘンリー=ポティンジャーと清国全権耆英(欽差大臣)・伊里布(乍浦副都統)・牛鑑(両江総督)によって調印された。この条約で清国は香港の割譲、広州・福州・厦門

平安京(国史大辞典・日本歴史地名大系・日本大百科全書)
延暦十三年(七九四)に奠(さだ)められた日本の首都。形式的に、それは明治二年(一八六九)の東京遷都まで首府であり続けたが、律令制的な宮都として繁栄したのは、承久二年(一二二〇)ころまでであって、その時代から京都という名称が平安京の語に替わってもっぱら

蘆屋道満(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。『古事談』『宇治拾遺物語』『十訓抄』に、道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが、道長の犬と晴明に見破られ、本国播磨国に追放されたと伝える。『峯相記』

大石良雄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一六五九-一七〇三江戸時代中期の播磨国赤穂藩士。正しくは「よしたか」とよむ。赤穂事件における浪士の中心的指導者。万治二年(一六五九)播磨赤穂の浅野家の代々家老の家に生まれる。通称喜内。代々の通り名は内蔵助。父は権内良昭で、早く没し、延宝五年

ライト兄弟(日本大百科全書・世界大百科事典)
兄ウィルバーWilbur Wright(1867―1912)、弟オービルOrville Wright(1871―1948)。アメリカの発明家。人類初の動力飛行機を開発した。オハイオ州デイトンで自転車製造販売業を営み、かなりの成功を収めていたが、1896年ドイツ人リリエンタールがグライダーの墜落で死亡

ナポレオン1世(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランス第一帝政の皇帝(在位1804~14、15)。本名ナポレオン・ボナパルトNapoléonBonaparte。[井上幸治]▲生い立ちコルシカ島は14世紀以来、イタリアのジェノバ領であったが、18世紀初期から住民は独立運動を開始し、同世紀中ごろから

六波羅探題(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉幕府が京都の六波羅に置いた機関、およびその長をいう。「探題」は元来、仏教で論議の際に論題を定め、問答の可否を判定する役を意味するが、転じて政務を裁決するこの重職を指すようになった。鎌倉時代末期に著わされた『沙汰未練書』に「探題者、関東者両所

沖田総司(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新撰組隊士。白河藩士の子として生まれる。天然理心流近藤周助の試衛館で剣を学び、同門の近藤勇とともに、新撰組に加わった。剣の才能は抜群であったものの、結核を患い、池田屋事件では、近藤らとともにわずか五名で、一番先に斬り込んだが、喀血して昏倒した。

河原者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
江戸時代に、歌舞伎役者や大道芸人・旅芸人などを社会的に卑しめて呼んだ称。河原乞食ともいった。元来、河原者とは、中世に河原に居住した人たちに対して名づけた称である。河川沿岸地帯は、原則として非課税の土地だったので、天災・戦乱・苛斂誅求などによって荘園を

榊原康政(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四八-一六〇六安土桃山時代の武将。徳川家康の四天王の一人で、武功派の中心的存在で勇名を大いに喧伝された功臣である。幼名小平太。式部大輔。天文十七年(一五四八)三河国上野に生まれる。長政の次子、母は道家氏の女。榊原氏は、先祖が伊勢国壱志郡榊原に住居

松平信康(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五九-七九戦国時代の武将。竹千代、次郎三郎。永禄二年(一五五九)三月六日駿府で誕生。徳川家康の長男。母は関口義広女(築山殿)。桶狭間の戦後も駿府に抑留されていたが、同五年人質交換で母とともに岡崎へ引き取られた。六年三月、織田信長の女五徳(徳姫)と

小谷の方(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一五八三安土桃山時代の女性。名は市、織田信長の妹。永禄十年(一五六七)末か翌年の初めごろ、近江浅井郡小谷城主浅井長政のもとに嫁し、長政が天正元年(一五七三)八月信長に滅ぼされた時城を脱出して織田氏のもとへ帰った。『総見記』によれば、信長は妹という