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ガンディー(日本大百科全書・世界大百科事典)
インドの政治指導者で思想家。「マハートマー(偉大なる魂)」「ラーシュトラ・ピター(国の父)」「バープー(父)」などいくつかの呼称をもち、今日なおインド人大衆の尊敬と親愛の的となっている。[内藤雅雄]▲アフリカ時代インド西部カーティアワール半島にあった
春日局(国史大辞典・世界大百科事典)
一五七九-一六四三徳川三代将軍家光の乳母。お福ともいう。天正七年(一五七九)に生まる。父は明智光秀の重臣斎藤利三、母は稲葉通明女。父利三が山崎合戦で自刃(一説に磔刑)ののち、母方の一族稲葉重通の養女となり、その養子正成に嫁し、四男(正勝・正定・岩松
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
松平広忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五二六-四九戦国時代の三河国の武将。徳川家康の父。千松丸、仙千代、次郎三郎。父は清康、母は青木貞景女。大永六年(一五二六)岡崎生まれ。天文四年(一五三五)十二月に清康が尾張守山で死んだ時は十歳。織田信秀の来襲は撃退したが、桜井松平家の信定に追われて
武田勝頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四六-八二戦国・安土桃山時代の武将。甲斐の武田信玄の四男。母は諏訪頼重の娘。天文十年(一五四一)六月、父晴信(信玄)が武田家当主となり、翌十一年信濃国諏訪郡を攻め、諏訪頼重を誅殺した際、その娘を側室として同十五年勝頼が生誕した。四男なので諏訪氏の
姉川の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
元亀元年(一五七〇)六月二十八日(新暦八月十日)、現在の滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田付近の姉川河原において、織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健連合軍を撃破した戦い。織田信長は永禄の末年(永禄二年(一五五九)・同七年・同八―十年ごろという
長篠の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正三年(一五七五)五月二十一日織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の軍を三河国設楽原(したらがはら、愛知県新城(しんしろ)市)で破った合戦。天正元年四月武田信玄が没し武田軍の上洛遠征が中断されると、徳川家康は再び北三河の奪回を図り、七月二十一日長篠城
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一五三四-八二戦国・安土桃山時代の武将。幼名を吉法師といい、天文三年(一五三四)尾張那古野城に生まれる。父は尾張下四郡を支配する清洲城の織田家の家老織田弾正忠信秀。同十五年元服して織田三郎信長と名乗り、同二十年信秀が死ぬと、十八歳で家をつぎ、みずから
豊臣秀吉(国史大辞典・世界大百科事典)
一五三七-九八安土桃山時代の武将。天文六年(一五三七)生まれる。『太閤素生記』によれば尾張国愛知郡中村(名古屋市)の木下弥右衛門の子という。弥右衛門は織田信秀の足軽であったが負傷して村に帰り百姓となった。秀吉の母なか(大政所、天瑞院)は弥右衛門との間
持統天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
六四五-七〇二。六八六―九七在位。ただし正式即位は六九〇年。白鳳時代の女帝。諱は高天原広野姫、大倭根子天之広野日女ともいう。天智天皇の第二女、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智娘。大化元年(六四五)誕生。斉明天皇三年(六五七)十三歳で叔父の大海人皇子(天武天皇)と結婚。
法隆寺(世界大百科事典)
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
松平定信(国史大辞典・世界大百科事典)
一七五八-一八二九。江戸時代後期の将軍補佐兼老中。幼名は賢丸、字は貞卿、号は旭峯・楽翁・風月翁・花月翁など。徳川(田安)宗武の第三子(八代将軍徳川吉宗の孫)。宝暦八年(一七五八)十二月二十七日江戸田安邸に生まる。田安家血統の絶える恐れがあるにもかかわらず安永三年(一七七四)白河藩松平定邦の養子を命じられた。
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